登城日 2007年 3月 31日(土)曇
難易度 ☆
場所 愛知県西尾市錦城町
西尾城の創建と規模は不明であるが、永禄4年(1561)松平方の酒井正親が、今川方の吉良義諦(よしあきら)を降し西尾城に入城し、天正13年(1585)その子酒井重忠に対し徳川家康が西尾城の修築を命じている。この時、東の丸と帯曲輪の拡張と堀や石塁の造成、櫓門、櫓類、二の丸に天守などが増築されたという。
天正18年(1590)豊臣秀吉が家康を関東へ移封すると同時に田中吉政が入城。吉政によって三の丸の拡張や大手黒門、新門の楼門2棟、櫓門2棟が建てられている。このとき東の丸にあった大手門は、太鼓門と改称されている。
その後、拡張整備は続き、明暦元年(1655)に竣工、西南部から本丸、二の丸、姫の丸、北の丸、東の丸、三ノ丸、それを取り囲む惣構えが構えられた。本丸には3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に複合式望楼型3重の天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建てられていたという。
明治4年(1871)廃藩とともに城は一時兵部省の管轄に移って漸次毀壊され、数年後には殆どその片影さえも留めないほどになってしまった。
名鉄西尾線西尾駅から歩いて行くと、門跡発見。
帯曲輪にあった丁田門跡。
三の丸にあった大手門跡。
その説明板。
三の丸にはもう一つの虎口である、新門がありました。
その説明板。
その横には土塁が残っています。
三の丸と本丸・二の丸の間には北の丸や東の丸があり、その入口には太鼓門がありました。
門跡は見落としました。
一気に本丸・二の丸へ。
現在は西尾市歴史公園となっています。
二の丸の入口にある鍮石門。
平成8年に復元された。
説明板。
その横には土塁が復元されています。
手前の砂利のあたりはかつて水堀でした。
門を裏から。
引いて見てみる。
二の丸から見た本丸丑寅櫓。
こちらも平成8年に復元された。
木が邪魔なので角度を変えて。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/ed/c5/j/o0480064014659879000.jpg?caw=800)
桜が咲いていました。
本丸北水堀。
向こうに見える建物は姫丸に建てられた西尾市資料館。
本丸北水堀西側。
本丸への土橋。
裏門があった。
裏門跡には石垣が残っています。
別角度。
本丸跡にある西尾神社。
本丸井戸。
丑寅櫓に登ってみる。
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/56/40/j/o0480064014659879065.jpg?caw=800)
丑寅櫓から見た二の丸鍮石門。
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/38/e2/j/o0480064014659879071.jpg?caw=800)
丑寅櫓から表門跡方面を見下ろす。
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/cb/9c/j/o0480064014659879080.jpg?caw=800)
本丸表門跡。
説明板。
本丸東水堀。
表門を出ると姫丸がありました。
西尾市資料館では親切に西尾城のことを教えてくれます。
姫丸南土塁。
姫丸辰巳櫓跡。
説明板。
姫丸を後にする。
西尾城さようなら。
二の丸を周りながら帰る。
二の丸丑寅櫓があったところ。
西尾城は二の丸に天守閣があった。
この体育館あたりに建っていたという。
西尾市資料館にあった天守閣模型。
望楼型のかわいらしい天守。
天守閣は再建計画があるという。
是非ともお願いしたいものです。
天守閣跡西側。
明らかに高低差がありました。
かつてこのあたりは堀だったようです。
天守閣が再建されたらまた行ってみようと思います。