岩屋城(筑前国) | 三日月の館

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登城日 第一回 2000年頃 晴
      第二回 2009年 1月11日(日)小雪
難易度 ☆☆
場所   福岡県太宰府市観世音寺

 

大野城のある四王子山の中腹に九州戦国史上有名な岩屋城があります。
地図上では一番手前です。
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岩屋城の説明。
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岩屋城を一躍有名にしたのは、高橋紹運の籠城戦です。
天正6年(1581年)に豊後の大友氏が耳川の戦いで島津氏に大敗すると、大友氏はしだいに衰退し始める。
そのような状況化で、立花道雪とともに大友氏を支えるべく奮闘する。
しかし、天正13年(1585年)に立花道雪が死去すると事態は急変し、天正14年(1586年)には島津氏2万の軍勢の侵攻を受け、総勢763名で半年間籠城するも、最後まで大友氏に忠義を尽くし、全員討ち死にし落城した。
豊臣秀吉による九州侵攻の数か月前の出来事だった。
本丸跡には「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑が建つ。
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本丸の北側には櫓台が残る。
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櫓台の北側は大堀切になっています。
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本丸の南側には腰曲輪があります。
急斜面で怖くて行けませんでした。
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本丸下の道路を挟んでさらに下には二の丸があります。
ここには、高橋紹運の墓があります。
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高橋紹運の墓。
高橋紹運は、武勇だけで無く知略にも富み、また人格者であった。
逸話として、
  同僚の立花道雪から長男統虎を養子に請われた時、最初は高橋家の大事な跡取りであるため断るも、実の父のように慕う道雪の頼みを断りきれず、最後には「道雪殿と父が争うことになったならこの太刀で父を討て」と訓戒したという。
  斎藤鎮実の妹(一説に娘とも)を正妻として迎えることが決まった後、度重なる戦で婚儀が伸び伸びとなっているうちに鎮実の妹は疱瘡を罹ってしまい、容貌が悪くなってしまったため、鎮実は婚約を断ってきたが、紹運は、「容姿ではなく内面に惹かれて婚約を決めたのだから、容姿が変わろうとも問題はない」と言い、そのまま妻として迎えたという。
などが残っています。
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岩屋城から九州自然歩道を登って行くと、大野城の土塁に到達します。
ここは馬責と呼ばれています。
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馬責の説明板。
こんなところから馬は駆け下りたのでしょうか。
歩くことさえもやっとなのに…
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高橋紹運は男の中の男ですね。
秀吉がもうちょっと早く九州へ来ていれば、歴史も変わったことでしょう。