登城日 1回目 1995年 3月15日(土)曇
2回目 2007年12月16日(日)雪
難易度 ☆
場所 福島県会津若松市追手町1-1
会津若松へは郡山から磐越西線に乗り換えて約1時間。
バスも出ています。
白河あたりから雪がちらつき、会津若松駅に着いた時にはすっかり雪景色となっていました。
駅からは少し離れていますので、バスに乗るといいと思いますが、とりあえずブラブラ歩きながら行くことにしました。
駅前からお城に向かう大通りを歩いて行くと、商店街から少し入ったところに蒲生氏郷公のお墓があります。
当時「黒川」と呼ばれていたこの地を、「若松」と改め、現在の会津若松の城下町の基礎を作ったとのことです。
蒲生氏郷公のお墓は京都とここと2ヶ所あるそうで、こちらは2代蒲生秀行が遺髪を埋めたところだそうです。
京都のお墓では刀を抱いて眠っているそうな。
辞世の句もありました。
いつか人は死を迎えるのに、40歳という若さで死を迎えねばならない無念さがこめられているようです。
お墓を少し奥へ進むと、甲賀町口門跡の石垣があります。
このあたりはすっかり市街化してしまいましたが、かつては、会津若松城の外郭だったようです。
そのさらに先には天寧寺町土塁が残っています。
晴れたり、突然雪が激しく降ったり本当に忙しい天気でした。
さて、お城に向かいます。
西出丸にあったお城の案内図。
甲賀口問跡からまっすぐお城に向かって行くと、両側に家臣の屋敷跡があり、北出丸に突き当たります。
北出丸追手門。
北出丸は進入した敵を三方からせん滅出来るので「鏖(みなごろし)丸」と言われたという。恐ろしや。
北出丸から本丸へ向かう椿坂。
椿坂を進むと、太鼓門跡から本丸へ行けますが、そのまま北出丸を西門から出て、
西大手門から西出丸へ再入城。
天守閣にあった西出丸の模型。
西出丸は現在駐車場となってます。
梅坂からいよいよ本丸へ。
西中門(弓門)を過ぎると、
本丸帯曲輪です。
弓門の奥には鐘撞堂が建っています。
横の説明板に、
「戊辰の役では砲火が集中し、時守が相次いで斃れたにもかかわらず、正確に時を報じ、大いに味方を鼓舞した。」
と書いてありました。
そして、ようやく天守閣が見えました。
五層の天守はかなり大きく、カメラに収めるのに苦労しました。
蒲生氏郷公の建てた天守閣は現在のものより大きく七層だったとか。
(つづく)