登城日 1回目 1995年 5月 3日(水)晴
2回目 2007年10月 7日(日)晴
難易度 ☆☆
場所 島根県安来市広瀬町富田2188
「我に七難八苦を与え賜へ」
山陰山陽十一ヶ国の太守尼子氏の居城、月山富田城へ行ってきました。
安来駅からイエローバスに乗りました。
イエローバスはバス停での案内が明確でないので、直接バスの運転手に聞くといいでしょう。
結構便数があるみたいです。
しかも200円。安くて良心的です。
どうしても無い時は足立美術館まで無料送迎バスに乗り、頑張って歩くことも出来ます。遠いですが。
途中、安来節演芸館があります。
バスは途中立ち寄るも下車する人無し。
演芸館の人が泣きながら手を振る姿がかわいそうでした。
もっと、宣伝しないと。知らなかったもの。
隣接している足立美術館でほとんどの人が下車して行きました。
足立美術館は日本一の庭園とか。知らなかった。
市立病院前で下車。
川向うが月山富田城です。
結局バスの中でお城に向かったのは私だけでした。
新宮橋から見た飯梨川と月山富田城。
手前の建物が安来市立歴史資料館。
ドライブインにもなってますが、あまり車は来ないようです。
ここで、スタンプ。
また、山陰の城館跡という本をくれました。残り少ないそうです。
同じ内容は島根県のHPにも掲載されてます。
日本城郭大系のダイジェスト版といったところでしょうか。
見てて退屈しない本です。
歴史資料館の奥にある尼子興久の墓。
尼子興久は経久の三男で所領加増願が聞き入れられず、後に自害したそうです。
月山富田城の絵図。
月山富田城の模型。
お子守口から登りました。
千畳敷にある椎の木。
尼子vs毛利の時代から月山富田城を見守っているそうです。
千畳敷の上の太鼓壇には。
山中鹿之助様がいらっしゃいました。

奥書院経由で花ノ壇へ。
花がたくさん植えられていたそうです。
花ノ壇とは堀切をはさんで山中御殿があります。

山中御殿の説明板。
大手門跡は半分崩落してしまったのでしょうか。えぐれてます。

両側には石垣が所々残ってます。

山中御殿の奥に本丸へ登り口があります。頂上まで20分。

七曲りの坂があり、途中山吹の井戸があります。

前日に備中高梁城で艱難辛苦を味わったからか、意外とあっさり三の丸に到着しました。

三の丸は草茫々でした。
三の丸から見た二の丸。

二の丸から見た本丸。本丸との間には深い堀切があります。

本丸から見た二の丸。二の丸側は石垣構築です。

そして、本丸到着。

本丸奥には勝目高守神社があります。
月山富田城から見た広瀬の町と京羅木山。月山富田城攻めの際の毛利氏の本陣となったところである。

今回も新宮谷には行けませんでした。残念。

そしてスタンプ。

交通の便も比較的良く、行きやすくなった城である。
周囲も見どころ満載で、観光地としてもっと脚光を浴びても良さそうだが。
12年前とはだいぶ印象が変わりました。