登城日 1回目 2003年秋
2回目 2018年 8月29日(水)曇
難易度 ☆
場所 茨城県土浦市中央1丁目13
水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城と呼ばれた城です。
JR土浦駅。
再訪する時はじっくり見て廻ろうと温存して15年。
続日本100名城に選定されたので今年行こうと楽しみにしていたのに、何でこんな天気の悪い日に来てしまったのだろう?
大手を目指し西へ進む。
約10分で南門付近に到着。
市立博物館に展示されている新旧対比図。
大町交差点が南門跡。
碑が建つ。
説明板。
【土浦城南門跡】
享保12年(1727)に大町が築かれるまではここが土浦城の南端で、正面の太い道路となっているところには川が流れていました。
土浦城と水戸街道の整備に伴い、慶長18年(1613)に川には橋(簀子橋)が掛けられ、正面に南門、脇に番所が置かれると共に、川の向こう側には「枡形」と呼ばれる城の防御施設が整備されました。
なお、貞享2年(1685)に大規模に改修され、形態的には角馬出となります。
明治6年(1873)撤去されました。
なお、枡形や馬出といった城の主要な防御施設は城下から城内へ入るところに設けるのが一般的であり、土浦城のように水戸街道という主要街道に大規模な防御施設を設置している例は全国でも大変珍しいものです。
大町交差点を渡った所に桝形があった。
絵図で。
歩道橋から南門跡を見下ろす。
水戸街道は鍵曲りに城内へ入って行く。
僅かな高低差。
土塁跡だったりして。
この延長線は東光寺境内へ。
東光寺瑠璃光殿。
味気ない本堂。
本堂の裏に僅かに残る南門の土塁。
説明板。
再び南門跡から。
水戸街道を進んで振り返る。
水戸街道を進む。
東光寺の北側にある等覚寺。
鐘楼。
八田知家寄進の銅鐘。
説明板。
本堂。
クロマツ。
水戸街道に戻り、大手町の突き当りで右に曲がる。
曲がってすぐに左へ曲がる。
ここから水戸街道は中城町を東へ進んでいく。
少し進んで左へ曲ると、土浦城の大手。
この斜めの道は大手門の内枡形をショートカットしている。
土浦小学校の校門。
校門脇に大手門跡の碑。
地図。
ここは県下で最初に設置された幼稚園、市立土浦幼稚園跡でもある。
大手門跡から内枡形を振り返る。
門のモニュメント。
ここから東へ進むとたつみ郭を経て搦手門。
北西へ進む。
この辺りは西郭。
小学校の塀に狭間を造ってあるが、あまり城内の雰囲気がしない。
城郭風建物の本妙寺。
大関高安関の母校だそうです。
昔、教会巡りをしましたね!
外記門の内枡形があった。
内枡形から見る。
面影なし。
外記門から西郭を振り返る。
二の丸の北西隅に位置する市立博物館が見えた。
三の丸を通り抜ける国道354号線を渡る。
郁文館の正門。
説明板。
配置図を拡大。
進む。
西門跡。
埋もれた碑と門跡の石垣。
丸馬出だった。
戻って神龍寺境内へ。
どこかの城門を移築したものかと思ったが違うらしい。
御殿の玄関を移築したものかと思ったが違うらしい。
本堂。
墓地に埋もれた残存土塁。
写真が撮りにく〰い。
(土塁は神龍寺の境内の西に高く盛られていたが、土塁の西にあった堀を埋めて境内地を広げて墓地にした上に、土塁上にも墓を建ててしまったので、撮りにくくなった。)
神龍寺境内の北に位置する土浦警察署西交差点。
勝軍木(ぬるで)郭の西端。
立田郭の南東隅。
土塁の延長線上を見る。
浄真寺境内の西端にも土塁が残存。
堀跡から見る。
浄真寺境内の北西隅。
ここで土塁は途切れる。
境内から土塁を見る。
反対側から。
本堂。
境内を出る。
土塁の延長線上はこの辺りかな?
ここまでが浄真寺の境内だったようだ。
新川沿いを東へ。
再び水戸街道。
ここに北門があった。
説明の碑。
道路は斜めに真っ直ぐ突っ切っているが、S字形のヘアピンカーブになっていた。
北門跡の碑。
右、築地郭。
左、水戸街道を進み南門へ。
築地郭。
武家屋敷があった。
築地町の町名碑。
振り返る。
築地郭の南端付近。
道路を渡ると勝軍木(ぬるで)郭。
のちに鷹匠町という町名が付いた。
碑を拡大。
勝軍木郭の東側に田町門があった。
水戸街道側から。
門の隣りには妙顕寺がある。
勝軍木郭の西端から多計郭を見る。
多計郭にある土浦警察署。
いよいよ本丸ですが、この頃になると何も無さ過ぎて妄想が全く働かないので、頭が疲れて飽きてしまった。
(つづく)