171 備中高松城 その1(備中国) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

登城日 1回目 1991年 秋

      2回目 2016年 5月 5日(木)晴
難易度 ☆
場所   岡山県岡山市北区高松558-2

 

水攻めで有名な城です。

 

最寄駅はJR吉備線備中高松駅。

天正10年(1582)は、今から434年前。

6月4日は本能寺の変の17日前。

駅前に「文部省指定史蹟 水攻高松城趾道」の碑。

駅前の城っぽい案内板を見てもどの道を指しているのか解らなかった。

とりあえず、目立つ東に聳える最上稲荷の大鳥居から。

しばらく進むと備中高松城400mの案内。

案内板。

左折して進むと三の丸にある星友寺と妙玄寺境内が見えてきました。

舟橋から。

説明板。

少し進んで右折。

この辺りが三の丸南西隅。

清涼閣。

妙見大菩薩。

星友寺。

こうやぶ遺跡へ。

ごうやぶ遺跡。

説明板。

ごうやぶ遺跡から、清水宗治自刃の地である妙玄寺を見る。

妙玄寺境内からごうやぶ遺跡を見る。

ここにも古い説明板があります。

妙玄寺境内の清水宗治自刃の地に供養塔が建っているが、遠目に見て引き返してしまった(涙)。

三の丸の西側に位置する備中高松城址公園駐車場へ。

布陣図。

東の石井山に羽柴秀吉。

南西の庚申山に吉川元春、日差山に小早川隆景。

北西に加藤清正。

三の丸北西隅。

説明板。

備中高松城説明板。

水攻め築堤跡高さ表示板。

高松城址公園。

ここは堀だった。

水攻音頭。

悲劇を歌にしてしまった…

高松城址公園資料館。

二の丸西側の堀跡に建つ。

立ち寄るべし!

想定曲輪図。

模型。

付近の名所案内。

空から。

高松城址公園へ。

あやめ。

公園から二の丸方面を見る。

本丸方面を見る。

二の丸西端。

説明板。

二の丸の中心から西を見る。

ひなぎく?

二の丸から三の丸北東隅を見る。

三の丸の北限。

東を見る。

西を見る。

公園に戻って本丸へ向かう。

宗治蓮。

7月頃が見頃。

南西隅から本丸へ。

説明板。

清水宗治辞世の句。

「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」

清水宗治。

首塚。

天聴記念碑。

水攻の図。

本丸から西を見る。

本丸を北へ進む。

進んで振り返る。

本丸北端。

本丸を出て、北西隅を見る。

本丸の中心を南へ進む。

宗治記念館。

開いてなかったので中を覗いてみる。

饅頭まである。

城址碑が建っている辺りが本丸の南端。

本丸と二の丸の間の堀があった辺り。

南を見る。

二の丸を見る。

高低差が無く解りにくい。

反転して本丸を北上。

再び本丸の北端。

北へ進む。

この辺りから池ノ下丸。

清水宗治胴塚。

説明板。

池ノ下丸の南西隅。

西端沿いにある観音堂。

池ノ下丸を北東へ進む。

曲輪の境。

左が池ノ下丸。

南東方向を見る。

水路に沿って曲輪の境が続いている。

右が家中屋敷曲輪。

家中屋敷曲輪と言われても…

わかんねぇ~

七畝堀が池ノ下丸に食い込んでいる所。

西へ行って本丸を見る。

ただ妄想するだけ…

本丸と家中屋敷曲輪との間堀。

二の丸の北東隅から三の丸の方を見る。

家中屋敷曲輪の西側の折れの所。

(この道の東側が曲輪。)

家中屋敷曲輪の北東側に鎮座する三宝大荒神。

家中屋敷曲輪の東端を北から見ていますが…

地図が無かったら全く解らない。

三の丸が見えてきました。

備中高松城400mの案内の所を左折した道に戻って来ました。

この辺りが、三の丸と家中屋敷曲輪との間。

一周したので、備中高松城を後にします。

石井山へ向かいました。

御崎宮へ。

細長い境内。

堀尾茂助陣跡。

石井山登山口。

柵門跡?

羽柴秀吉本陣跡。

旗が建っています。

備中高松城を望む。

清水宗治首塚跡。

明治42年に改葬されるまで持宝院境内のここにあった。

さらに奥へ。

途中際どい場所も。

太閤岩。

説明板。

持宝院は山麓に移転している。

蛙ヶ鼻へ。

水攻め築堤跡。

反対側から見る。

凹んだ所が当時の地表。

ここで築堤は途切れているが、

何となく解る。

絵図。

築堤跡を辿って備中高松駅へ戻りました。

最後に清水宗治生誕地へ。

最寄駅は東総社駅。

備中総社宮の東、出張交差点の南東に清水村があった。

南之坊。

この奥に清水宗治の子孫が建てた墓があるのだが…

撮り忘れました。

説明板や案内図が無ければ全く解らない備中高松城でした。