濃厚接触者を追跡していない等の問題もあり、数字ほど感染者は減ってない説もありますが、現場感覚的には減っているのは間違いありません。
もう少しでひと段落しそうなので、今回のコロナ第3波の率直な私の感想を
「人はいつ死ぬかわからないから、今を生きようぜ!!」
コロナさんがくれたものがあるとすれば、、
「死を認識すること」
かなと思います。
これからワクチンや新薬で、コロナさんをある程度抑え込めるとは思います。でも、きっとコロナさんはいなくならないと思います。私の予測が外れ、コロナが居なくなっても、でも人は必ず死にます。
今回のコロナ禍を踏まえて、
自分や自分の家族の人生において、
「人生、70年!!」
の価値観で
「生きていく!!」
「生きてもらう!!」
ってのが、必要かなと思いました。
「人生100年時代」って、、
そんなのないし、迷惑だから。笑。
もう70歳を越えているって?笑
では、もうこれからの人生は、毎日がボーナスステージです!!
今回のコロナ第3波で一番の医療機関に負担だったのは、75歳以上くらいの患者です。
特に80歳以上のコロナ患者では、ほぼ本人の体力の問題です。
ある程度悪化すると、ほぼ救命することは出来ず、我々にやれることはありません。
「どう考えても死亡する」と直観的に感じます。
でも、この感覚がとっても新しい感覚だったわけでもないな。
と最近思うようになりました。
別に、
これって、コロナが流行する前からよくあったよね?
別の病気でも、
こういった救命確率が極めて低い高齢患者をどこまで積極的に治療するか?
この問題はコロナ後に発生した問題ではありません。前からありました。
コロナ第3波では、医療資源が限られる中、こういった患者へどれだけ医療資源を投入するか?を改めて考えさせられました。
特に今回は、この限られた医療資源を無駄に消費しないという視点から、「緊急事態宣言」が発令され、経済活動が制限されたことにより、コロナに感染してもいないのに生活に悪影響を受けた人たちがたくさんいるわけです。
この中で、
「高齢者で救命確率が極めて低いコロナ患者を、どこまで治療するか?」
そもそも、
「救命確率の低い高齢患者を入院加療させなければならなったのか?」
というあたりの問題が今回のコロナ波の中では大きかったと思います。
そしてコロナ禍における日本の医療逼迫の大きな原因が、おそらくこういった救命率の低い高齢者です。(もちろん医療界が十分な病床を提供できなかった問題もあります。)
現状、この救命確率が低い高齢者をどうするか?の判断において、一番重視されるのは
「家族の判断」
です。もちろん本人の判断力がなくなった状態では、家族が判断するというのは至極当然とは思いますが、
「家族」の判断において、一番の問題点は、
「その家族にコスト意識がない」
という点です。
日本では、コロナ医療においても、普通の高齢終末医療においても、共通にいえることですが、
本人、患者家族が、負担するコストがほとんどありません。
そのコストのほとんどは
「税金」に代表される「他人の犠牲」
(厳密にはお金だけでは、ありません。)
でカバーされます。
つまり家族には純粋に、
例えば、(80歳くらいを想定)
「あなたの父の救命確率は、治療をしても20%くらいしかありません。積極的な治療を望みますか?」
と医師から問われます。
すると
「やれることはやってください。」
と答える家族が多いです。
(まあ、状況にもよりますが、多くの場合です。)
でも、こう言われたらどうでしょうか?
もし日本の皆保険がなく、全部実費だったとして、
「あなたの父の救命確率は、積極的な治療をすれば20%程度です。ただ積極的な治療により、概ね800万円くらいの治療費がかかります。どうしますか?」
「やれることはやってください。」と答える家族は、大分減るはずです。
日本の医療現場においては、医療にかかる本当のコストを、家族及び医療提供者側が認識することは極めて少ないです。これが日本の皆保険の最大の弊害です。提供者側、受給者側ともにコスト意識が極めて低いです。
そして、このコスト意識の低い医療受給側と、それを気にしなくていい医療提供側から生じたのが、世界一の人口当たりの病床数で、そして今回の事態だと思います。
こんなことを言うと、大切な命の話なのに、お金の話を持ち出してと、
非難する人がいるのは承知していますが、
この例でいえば、
実際に800万円のコストは発生していて、これを誰が負担するのか?
この患者が救命されても、残りの人生で800万円の経済効果を、この後に生み出すことは、ほぼありません。
ましてや医療資源を投入しても多くの患者は死亡する状態です。
冷たいって??
でも、
この800万円は、誰が負担するのですか?
これと同等の現象が、今回のコロナ第3波では起きていたと思います。
例えば、救命確率がある程度ある若年者が自宅で亡くなったのは、救命確率が低い高齢者を入院させていたためと評価することは可能で、、おそらくほぼ真実です。
(当院でも個室が用意できず、かなりの数の若年重症コロナ患者の受け入れを断っています。その断った患者は当院に入院しているどの患者よりも若年です。
(ちなみにコストにシビアな欧米では、多くの高齢者が、病院に入院することなく死亡しているし、挿管される高齢者(70歳以上)も極めて稀です。)
こういった救命確率が低いコロナ高齢者を、
施設で看取る。
自宅で看取る。
という選択ができたなら、日本では「緊急事態宣言」は必要なかったと思います。
コロナ禍に限らず、この「広義の終末期医療」というよりは、「終末期人生」をどうするか?
を日本人は、改めて考える必要があると思いました。
かつて94歳の心筋梗塞患者の家族に
「亡くなることもあります」とお話したときに、
大声で
「死ぬってことですか!!」
と怒鳴られたのを思い出します。
「そりゃ、、そうだろ、、、」
と思いましたが、まさか口に出すことはできず、
「まあ、万が一の話です。」
と話を濁したのを思い出しました、、、
まあ、、私からすれば、、、
多くの日本人の一般的な死生観は、現状の日本には不適切です。
私からすれば、無理ゲーです。
この問題は、自分が医者になったときから、常に感じてきた問題ですが、それを話せる雰囲気も日本の医療現場にはありません。笑
ただ、せっかく大きな犠牲を払って経験したコロナ禍なので、日本でそういった議論ができたら、コロナ禍も無駄ではなかったと思えるのではと思っています。
「ピンピンコロリ」
というのが、一番、幸せな死にかただという高齢者はいますが、、
実際のところ、、、それを受け入れる家族は皆無です。
みなさん
「あんなに元気だったのに!!」
とまるで私たちを責めるかのように、
「全部、できることはやってください!!」
という家族が多いです。
まあ、僕は、、、
これが、、
「ピンピンコロリ」だろ、、
と思いながら治療してますよ、、、いつも、、、
全力を尽くしますが、、、
そこらへんをちゃんと議論してほしいと、、、
今回、あらためて、本当にそう思いました。
そして、、、
絶対的にいえるのは、
「人間は絶対死にます!!」
です。笑。
どんなに偉大でも、、絶対死ぬのよ、、、。

