3月11日(水)~3月12日(木)、今年初のキャンプに出かけました。
2026年記念すべき最初のキャンプ地は福岡県糸島市。まずは「伊都菜彩」でお買物。
<JA糸島産直市場 伊都菜彩>
雷山観音参拝時に立ち寄るJA糸島の直売所ですが、いつもながらおいしそうなものがたくさんあって迷う~![]()
【雷山観音参拝後のお楽しみ・伊都菜彩】
併設するうどん屋さんでお昼をいただいて、いざ魅惑の糸島エリアへ。
<伊都菜彩内にあるうどん屋さんで、しめじ天うどん>
糸島は福岡県西部の糸島半島に位置し、南は背振山系の山々が連なり、北には玄界灘に面した美しい海岸線が、その中間にはなだらかな田園地帯が広がります。今回はお天気が良いので海岸線を攻めようと思います。
「伊都菜彩」から国道202号線を西へ、「福ふくの里」へ。
<福ふくの里>
「福ふくの里」は地元の新鮮野菜と玄界灘で獲れた鮮魚を中心に販売する糸島市二丈にある直売所。
<ホワイトボードに書かれた入荷情報(好ポイント
)>
特産品が豊富な糸島エリアは直売所めぐりも魅力のひとつですが、今回こちらを訪ねた目的はもうひとつありまして。それは菜の花。通りかかった人が思わず二度見するほど見事と聞き、ぜひとも見てみたい!と思っていたのです。果たして―
<福ふくの里の菜の花畑>
おおっ、これはすごい!
ちょっとピークは過ぎていたけど、広大な敷地を一面黄色に染める様は圧巻です!![]()
<菜の花近影(ちょっと種も見え始めている)>
夢中で写真を撮っていると福岡方面から列車が。
<すぐそばをJR筑肥線が通る>
青い車体に黄色の菜の花が映えてきれい。なんとものどかな光景に癒されました。![]()
次は「福ふくの里」からさらに国道202号線を西に5分ほど走り、姉子の浜へ。
<姉子の浜>
姉子の浜は長さ1.1kmに渡り弓状に広がる白浜で、鳴き砂の浜として知られています。
踏むと砂に含まれる石英の粒子が擦れ合いキュッキュと音が鳴るのですが、これはゴミが少なく美しい砂浜である証。
<美しい白浜>
いろんな場所を踏んで回ったけど、この日は波の音ばかりで聞こえず・・・(気象条件とかあるのかな?)それでも晴れ渡る空の下、青い海と白い砂とのコントラスが美しく。穏やかに拭く風も心地よく、しばらく眺めていました。
<海沿いドライブ>
<途中電車と並走>
「マルキョウ深江店」近くの踏切(狭い)を渡って鎮懐石八幡宮へ。
<鎮懐石八幡宮>
こちらは神功皇后伝説が伝わる神社とのこと。
<神社そばにある駐車場>
仲哀天皇9年(西暦200年)神功皇后は応神天皇を懐妊しながらこの地を通って朝鮮半島に兵を出され、その際卵型の美しい二個の石を肌身に抱き、出産の延期を祈って御腹と御心を鎮懐(しずめ)られたとか。願いが叶い、帰国後宇美の里で応神帝をご安産された皇后は、
<宇美八幡宮の産湯の水(2025年1月撮影)>
その石を子負ヶ原の丘上にお手ずから拝納し、以後世の人々は鎮懐石(ちんかいせき)と称し崇拝するようになったそう。この鎮懐石をお祀りする神社として古事記や日本書紀、万葉集等に記されるのがここ鎮懐石八幡宮だそうです。
<鎮懐石八幡宮鳥居>
<「古事記」中巻 仲哀天皇>
まだ戦が終わっていない時に、神功皇后の懐妊されていた子(応神天皇)が産まれそうになりました。そこで皇后は腹を鎮めるために、石を腰につけました。そして九州の筑紫に渡ってから出産しました。
その皇子が生まれた土地の名を宇美(うみ)と言います。その腰に巻いた石は筑紫国の伊斗村(いとのむら)にあります。
<「日本書紀」神功皇后(九)>
そのとき、皇后は出産が始まりそうになりました。皇后はすぐに石を取って腰に挟んで、祈って言いました。 「事を終えて、帰った日にこの地で生まれてほしい」 その石は今、伊都縣(いとのあがた)の道のほとりにあります。
<神社HPより>
鳥居の右手には万葉歌碑が。
<鎮懐石万葉歌碑(糸島市指定文化財)>
万葉集巻第五に所載される、鎮懐石を詠じた山上憶良の歌を刻んだもので、安政6年(1859年)の建立。九州最古の歌碑として市の文化財に指定されています。
刻まれた序文、長歌、反歌は以下の通り。(神社HPより)
<序文>
筑前國怡土郡深江村子負原 海に臨める丘の上に二石あり 大きなるは長さ一尺二寸六分 圍(めぐり=周囲)一尺八寸六分 重さ十八斤五両 小さきなるは長さ一尺一寸 圍(めぐり 周囲)一尺八寸 重さ十六斤十両 並(とも)に皆楕圓(楕円)にして状鶏の子(かたちとりのこ=卵型)の如し 其の美好(うるわ)しきこと論(あげつろ)ふに勝(と)ふべからず 所謂径尺の璧(たま)是なり
深江の駅家を去ること二十許里 近く路頭(みちのほとり)にあり 公私の往来に馬より下りて跪拝(跪いて拝む, おろが)まずということ莫し(無し)
古老相伝へて曰く 往者(いにしえ)息長足日女命(おきながたらしひめのみこと= 神功皇后) 新羅國を征討(ことむけ)ましし時 茲の両(二つ)の石を用ちて御袖の中にさし挿み箸けて以ちて鎮懐(しずめ)と為したまひき 所以(ゆえに)行人此石を敬拝すといへり 乃ち歌を作りて曰く
<長歌>
懸けまくは あやに畏し 足日女(たらしひめ=神功皇后) 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言い継ぐがねと 海(わた)の底 沖つ深江の 海上(うなかみ)の 子負の原に み手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇魂 今の現に 尊きろかむ
<反歌>
阿米都知能 等母爾比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
天地(あめつち)の 共に久しく 言ひ継げと この奇魂(くしみたま) 敷かしけらしも
鳥居左手には神功皇后が御船を繋がれたと伝わる「船繋石」が(昔は神社の鳥居近くまで海だったらしい)、
<船繋石>
万葉歌碑のそばには神功皇后の腰掛石があり、古事記の世界がリアルに感じられる・・・![]()
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<神功皇后腰掛石>
鳥居をくぐると参道が2つに分かれています。
<2つに分かれた参道>
右は手すり付きの緩やかな階段、左は手を着かなければならないほどの急な階段。
<分かれ道にある案内板>
せっかくだからどちらも通ってみたい。
下りの方が怖いので、行きに急な階段、帰りに緩やかな階段を通ることにしました。
<急な階段の踊り場にある狂歌碑>
あらそわぬ 風の柳のいとにこそ 堪忍袋 ぬふべかりけれ
(訳:風に争うこともなく、吹くままになびいている柳の枝。あの柳の糸でこそ人間の堪忍袋を縫うべきだ。)
詠者は狂歌四天王の一人、「真顔」鹿都部真顔(しかつべのまがお)。江戸後期の狂歌師・黄表紙作者。
階段を上りきった場所には、陰陽石と塞の神の御社が。
<陰陽石、塞の神>
【陰陽石】
子宝、子授けの神。
【塞の神】
八衢比古神、八衢比売神、久那斗神の三柱の神。古くから村境や道の分岐点等に祀られ、悪事をもたらす禍津神の侵入を防ぎ村中を守る神徳がある。
振り向くと玄界灘が一望!
<陰陽石、塞の神を祀る社前からの眺望>
右に見える三角の島は姫島。左は大入配崎。この日は視界が良く、遠く壱岐まで見えました。感激!![]()
さらに進むと右手に金毘羅宮、正面に御本宮が鎮座しています。
<正面:御本宮、右:金毘羅宮>
<金毘羅宮>
四国讃岐の金毘羅様と、志賀海神社の祭神・志賀大神、筑前一ノ宮・住吉神社の住吉大神を祀る。三柱はいずれも古代から海上守護、金運、開運、導きの神として信仰されている。
<鎮懐石八幡宮御社殿>
<御社殿前の狛犬さん>
拝殿前に進み二拝二拍手一拝で参拝。
「こちらの御本殿に鎮懐石が・・・」お祀りするのは神功皇后、応神天皇(八幡大神)、武内宿禰。
<拝殿に掛かる鎮懐石八幡宮の扁額と奉納絵馬>
拝殿に掛かるたくさんの奉納絵馬から当社の長い歴史と、人々の信仰の篤さが伺えます。改めて、今回お参りする機会をいただけたことに感謝です。
<拝殿床には松板を使用。周辺に松の大木があったことを物語る>
さて、こちらのおみくじは鎮懐石を詠んだ山上憶良の歌にちなんでか、万葉集の歌で占う模様。
<万葉集の歌で占うおみくじ>
せっかくなので引いてみると12番吉。「花の色は 霞にこめて 見せずとも 香をだにぬすめ 春の山風」。古典に疎いので帰宅後調べたら、「古今和歌集」に収められた、良岑宗貞の歌でした。あれ?万葉集じゃない?(ちなみに意味は「美しい花の色は霞に遮られ見えないけれど、せめて香りだけでも盗み出しておくれ、春の山風よ。」桜を切望する歌なのかな?)
神殿の天井でご神威を受けながら災害から神殿を守ってきたという「願い石」に触れ祈ってから、
<願い石(卵型のきれいな石、鎮懐石もこういう形なのかな?)>
緩やかな石段を下り、鎮懐石八幡宮を後にしました。
<ゆるやかな階段に鎮座する猿田彦大神>
思いがけず古事記探訪となり、大感激です。
(相方でかした!
)
<境内に咲いていたジンチョウゲ>
―中編に続く

































