祇園四条駅から風情漂う祇園白川を歩き八坂神社へ。

 

<八坂神社西楼門>

 

「祇園さん」と呼ばれ古くより京都の人々に親しまれてきた八坂神社。全国約2300社ある八坂神社、祇園信仰神社の総本社です。

 

境内最古の建造物(応仁の乱による焼失後明応6年(1497年)に再建。重要文化財)という西楼門は祇園のシンボルだそうで。確かに祇園のメインストリート・四条通の真正面に一際鮮やかに佇む様はいかにも!ですが、

 

<四条通正面に見える西楼門>

 

大正2年市電開通で道路が拡張された際ちゃんと真ん中になるよう、東に6m、北に3m移動しているという。

 

<西楼門そばにある西楼門移転の碑>

 

祇園を歩いたときも思ったけど、京都の人の美のこだわりって本当すごい!

 

さて「ブラタモリ」によると(出た!)、この西楼門は京都盆地の縁(断層崖の上)にあるそうで。ファンとしてその境界線をしっかり確認、

 

<西楼門下の階段は東山と京都盆地の境界線>

 

このまま西楼門から入ってもいいのですが、初めての参拝なのでやはり正門からお参りたい。南にある神幸通に周り

 

<南幸通り>

 

石鳥居が建つ表参道へ。

 

<天保3年に建てられた明神鳥居(現在の鳥居は寛文6年の再建)重要文化財>

  

古来疫病除けの神社として信仰を集める八坂神社。京都三大祭りで知られる祇園祭も疫病消除を願う八坂神社の祭礼です。

 

<境内にある山鉾のモニュメント>

 

「そういえば、昨年初めて京都を訪ねたのは祇園祭のときだったな。」そう思うと、この参拝も感慨深い。

 

【昨夏の京都弾丸ツアー】

 

八坂神社の創始は平安遷都の約150年前、斉明天皇2年(656年)に素戔鳴尊の神霊をこの地に祀ったことにはじまります。

 

<正門の南楼門(明治12年の再建)>

 
後に神仏習合思想により、素戔鳴尊は祇園精舎の守護神・牛頭天王と一体視され、八坂神社は長らく「祇園社」、「祇園感神院」等と称していましたが、神仏分離に伴い明治4年(1871年)に「八坂神社」と改称されました。

 

<西手水舎に見られる「感神院」の文字>

 

南楼門をくぐると正面に立派な舞殿(ぶでん)が。

 

<舞殿(慶応2年に延焼し、明治7年に再建)重要文化財>

 

祇園祭のとき三基の神輿が奉安されるほか奉納舞踊なども行われるそうで、軒下には花街のお茶屋や料亭から奉納されたたくさんの提灯が。灯りが灯ったら、さぞかしきれいでしょうね。にっこり

 

<南手水舎(明治20年の建造)重要文化財>

 

手水舎で身を清め、御本殿の前へ。

 

<本殿(承応3年(1654年)建立、国宝> 

 

お祀りするのは素戔鳴尊(中御座)、櫛稲田姫命(東御座)、八柱御子神(西御座)。八柱御子神とは素戔鳴尊の八柱の御子神で、八島篠見神、五十猛神、大年神、大屋比売神、抓津比売神、宇迦之御霊神、大屋毘古神、須勢理毘売命。

 

スサノオファミリー勢揃いというだけでもすごいのに、御本殿の真下には龍穴があると伝えられるとか。なんでも平安京は陰陽道による四神相応の地、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)に守られた土地とされ、青龍が守る東山に祀られた八坂神社の本殿下にはその気が貯まっているのだと―

 

<御本殿下の龍穴から湧く御神水>

 

襟を正して二拝二拍手一拝。なんだか強い御神気が感じられるような気がする・・・(←その気になりやすい)

 

それにしても大きな御社殿です。カメラに収まり切れない!

 

<横から見た御本殿>

 

八坂神社の御本殿は本殿と拝殿をひとつの屋根で覆う「祇園造」と呼ばれるもので、この建築様式は他に類を見ないそうです。

 

<朝日に輝く御本殿の屋根>

 

御本社参拝後は境内社にお参り。

御本殿の東に鎮座する大神宮社、悪王子社、美御前社。

 

<大神宮社>

 

御祭神:天照大御神(内宮)、豊受大御神(外宮)

<悪王子社(明治11年建立)重要文化財>

 

御祭神:素戔鳴尊荒魂

「悪」の文字に一瞬ぎょっとしたが、「悪」とは「力強い」の意で所願成就のご神徳があるとか

<美御前社(天正19年建立)重要文化財>

 

御祭神:多岐理毘売命、多岐津比売命、市杵島比売命

容姿端麗な神さまであることから美容の神として信仰が厚い。社前に湧き出る御神水「美容水」は肌に数滴つけると身も心もきれいになるらしい。(しっかりあやからせていただきました。)

 

<美容水>

御本殿裏をまわって

 

<御本殿裏の拝礼所(センサーで鈴の音が鳴る)>

 

<神馬舎>

 

西に十社、大年社、大国主社。

 

<十社(明治10年建立)重要文化財>

 

向かって右から多賀社(伊邪那岐命)、熊野社(伊邪那美命)、白山社(白山比咩命)、愛宕社(伊邪那美、火産霊命)、金峰社(金山彦命、磐長比売命)、春日社(天児屋根命、武甕槌神、斎主神、比売神)、香取社(経津主神)、諏訪社(健御名方神)、松尾社(大山咋神)、阿蘇社(健磐龍神、阿蘇都比咩命、速甕玉命)

<大国主社(明治10年建立)重要文化財>

 

御祭神:大国主神、少彦名命、事代主神

素戔鳴尊の六代孫。言わずと知れた縁結びの神。

 

<社前の白兎像がかわいい♪>

十社から万灯篭の参道に下り

 

<赤い灯篭が並び立つ様が美しい万灯篭>

 

厳島社、祖霊社、五社、刃物神社、日吉社。

 

<厳島社>

 

御祭神:市杵島比売命

素戔鳴尊の剣から生まれた三女神(美御前社祭神)の内の一神。容姿端麗で舞を踊ることから舞踊謡曲の神として、特に芸妓さん、舞妓さんから崇敬されている。(瑞垣にはたくさんの芸妓さんの名前が見られる)

<手前:五社(昭和2年建立)重要文化財、奥:刃物神社>

 

【五社】

御祭神:向かって右から八幡社(応神天皇)、竃神社(奥津日子神、奥津日売神)、風神社(天御柱命、国御柱命)、天神社(少彦名命)、水神社(高龗神、罔象女神)

【刃物神社】

御祭神:天目一箇神(あめのまひとつのかみ)

刃物供養の神さま。苦難を断ち切り、未来を切り開く御神徳も。

<日吉社(19世紀中期建立)重要文化財>

 

御祭神:大山咋神、大物主神

方位除けの神さま。八坂神社の鬼門(東北)に建つ。

こうして見ると境内社の中には御本社の本殿に倣ったお社がいくつかあって、それが独特な境内景観をつくっている。こういうところにも京都の美のこだわりが感じられるのだけど、境内社のほとんどが重要文化財って・・・! なんだか感覚がマヒしてきた・・・無気力

  

社務所の前を通って

 

<おみくじは2人揃って12番半吉>

 

北向蛭子社と常磐神社、

 

<北向蛭子社(正保3年建立)重要文化財>

 

御祭神:事代主神

「祇園のえべっさん」の愛称で親しまれる、商売繁盛・家内安全の御社。祈願後、社前のえびす像に触れると御利益があるとされる。

 

<ふれあいえびす像>

最後に太田社、疫社にお参り。

 

<太田社(大正2年建立)重要文化財>

 

御祭神:猿田彦命、宇受女命

猿田彦命は天孫降臨に際し先導の役割を果たした導きの神。宇受女命は天照大神の天岩戸隠れの折り、岩戸の前で神楽を舞った神で、宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠つ祖であり、芸能の神とされる。

<疫神社(文政6年建立)重要文化財>

 

御祭神:蘇民将来命

むかし素戔鳴尊が諸国を周っていたとき2人の兄弟に宿を請うた。兄の巨旦将来は裕福だったが宿を貸さず、弟の蘇民将来は貧しいながらも手厚くもてなした。感激された尊は、後年疫病が流行しても茅の輪をつけ「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄が免れると約束され、巨旦将来の子孫は皆絶えたが、蘇民将来の子孫は今に栄えたという。以来疫病除けの神として信仰される。

平日の朝ということで参拝客もまばらで、静かな境内に漂う冬のぴん!と張りつめた空気はスサノオさまの御神気と重なるように思えました。(←個人的感想です)

 

心ゆくまでお参りし、西楼門を出て四条通へ。

 

<西楼門裏側>

 

花見小路を通り建仁寺に向かいます。

 

<賑やかになってきた四条通>

 

・八坂神社:京都府京都市東山区祇園町北側 HP