賀茂川の上流に鎮座する上賀茂神社と下流に鎮座する下鴨神社。「賀茂社」と総称される2つの神社は古代山城国の豪族・賀茂氏の氏神で、創建は紀元前にまでさかのぼるという古社です。世界遺産「古都京都の文化財」にも登録されています。

 

<下鴨神社の世界遺産の碑>

 

上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)、下鴨神社の御祭神は賀茂別雷神の母・玉依媛命と祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。御祭神が血縁関係にある縁の深い両社、巡る順番に特に決まりはないとのことで下鴨神社からお参りすることにしました。

京都駅前から4番系四条川原・上賀茂神社行バスに乗り出町柳駅前で下車。

 

<出町柳駅前バス停近く、河合橋から大文字山を振り返る>

 

神社により近いバス停もあるのですが、下鴨神社が鎮座する糺(ただす)の森が賀茂川と高野川が合流する三角州にあると聞き、それが見て取れるこの風景を見ておきたかったのです。

 

<賀茂川(奥)と高野川(手前)の合流点>

 

素敵・・・ラブラブ ここから先は鴨川になるのですね。ニコニコ

「あっ!あの飛び石、テレビドラマで見たことある!」 振り返ると見える大文字山といい、ミーハーかねし大感激です。飛び出すハート(←山村美紗シリーズ大好きでした)

 

旧三井家下鴨別邸を左に見て

 

<旧三井家下鴨別邸>

 

下鴨神社参道を進みます。

 

<鳥居型の車止めがかわいい>

 

鎮守の杜である糺の森は、古代より清水の湧くところ、鴨川の水源の神地として信仰されてきたそうで、美しいせせらぎに癒される・・・昇天

 

<参道脇に見られる泉川>

 

約12万平方メートルにおよぶ広大な森に茂る木々はケヤキやエノキ、ムクノキなど約40種。ほとんどが広葉樹ということで

 

<冬枯れの糺の森>

 

当然こうなるわな・・・汗

しかし樹齢200~600年の原生林は圧巻。平安京以前の生態系を維持する貴重な森は、都会の原生林とも呼ばれるとか。これは初夏の新緑はもちろん、秋の紅葉も見事でしょうねぇ。(早くも再訪希望)

 

<瀬見の小川に泳ぐカモ(下鴨神社にカモ♪)>

 

糺の森の入口には河合神社が。

 

<河合神社>

 

賀茂川と高野川が合流する地にあることがその名の由来という。御鎮座は不詳ですが神武天皇の頃ともいわれ、延喜式神名帳に「鴨川合坐小社宅神社(かものかわいにますおこそやけのかみのやしろ)」の名で記される古社です。あの三大随筆の一人・鴨長明に関係の深いお社(河合神社の禰宜の息子)としても知られています。

 

<河合神社・神門>

  

<神門前に鎮座する三井社>

 

別名三塚社。御祭神は中社:賀茂健角身命、西社:伊賀古夜日賈命(賀茂健角身命の妻)、東社:玉依媛賈命。

古い時代の下鴨神社は古代山城国愛宕、葛野郷を領有しており、その里には下賀茂神社の分霊社が祀られていた。この社は鴨社蓼倉郷の総(祖)社として祀られていた神社である。

下鴨神社の第一摂社ながら、千年の都で長い歴史を持つ神社だけになんとも雅な佇まい。

 

<河合神社・境内>

 

社殿は御本宮の式年遷宮にあわせ造替がおこなわれており、現在の社殿は延宝7年(1699年)式年遷宮の古殿舎をご修造したものだそうです。

 

<御社殿>

 

神殿前に進み二拝二拍手一拝。

 

<瑞垣から垣間見えた立派な狛犬>

 

お祀りするのは神武天皇の母・玉依姫命。(下鴨神社の御祭神・玉依媛命とは別の神さま。タマヨリヒメとは「玉」タマ=魂、「依」ヨリ=依り代、巫女的な霊力のある女性の呼び名とされるらしい)

女性守護の神として崇敬を集めていますが、玉の様に美しいことから美麗の神としての信仰も深く、こちらにはこんな絵馬が。

 

<鏡絵馬>

 

手鏡の形をした絵馬に自身が使用している化粧品でメイクをし、裏に願い事を書いて奉納するのだとか。

 

<鏡絵馬を書くための化粧室まである!>

 

「こんなおばちゃんでも、せめて心だけは美しくありたい。」お参りにもつい力が入ってしまいました。←気持ちは乙女(あっ、石投げないであせる

 

<貴布禰(きふね)神社>

 

御祭神は高籠神(たかおかみのかみ)。

1161年(平安時代後期)には当社御垣内に祀られていたことが「神殿屋舎等之事」に記されている。水の神で有名。

<任部社(とうべしゃ)>

 

御祭神は八咫烏命。

河合神社創祀のときより祀られている神社。御祭神の八咫烏命が日本の国土を開拓された神の象徴として、日本サッカー協会のシンボルとなって以来サッカー必勝の守護神として有名。

<六社(むつのやしろ)>

 

北方(向かって右)より諏訪社(健御方神)、衢(みち)社(八衢毘古神、八衢毘賣神)、稲荷社(宇迦之御魂神)、竈神社(奥津日子神、奥津比賣神)、印社(霊璽)、由木社(少彦名神)

当社御垣内にそれぞれ別に祀られていたが、江戸時代の式年遷宮のとき各社が一棟になった。いずれも衣食住の守護神。

再び糺の森に戻り、下鴨神社へと進みます。

 

<糺の森>

 

参道と並行して伸びる馬場にはいくつか摂社・末社が鎮座しているのですが、

 

<二十二所社(御祭神:鴨氏二十二譜始祖神)>

 

<賀茂斎院御歴代斎王神霊社(御祭神:有智子内親王他三十五代斎王御神霊)>

 

おもしろいなと思ったのが(失礼!)雑太(さわた)社。

 

<雑太社>

 

御祭神の神魂命(かんたまのみこと)の御神名から魂は玉に通じるとして、球技上達の御神徳があるといわれているそうで、鈴も

 

<雑太社の鈴>

 

お賽銭箱も

 

<雑太社の賽銭箱>

 

ラグビーボールの形をしています。爆笑

 

「それにしても、なぜラグビーボール?」と思ったら、なんでも明治43年9月10日、雑田社前の馬場にて日本で初めてラグビーの練習が慶応義塾生(現在の慶応義塾大学)と旧制第三高等学校(現在の京都大学)の間でおこなわれ、以来「第一蹴の地」とされているとか。

 

<「第一蹴の地」記念碑>

 

こちらはラグビーの聖地なのですね。にっこり

 

<絵馬までラグビーボール型!>

 

さて、長い参道を進みようやく下鴨神社の赤い鳥居が見えてきました。

 

<参道の先に見える南口鳥居>

 

糺の森の名の由来に「糺すは正すに通じ、不浄を糺す為この名がついた」という説があるそうで。古代から生き続ける美しい森の中をここまで歩き、気持ちも整ったように思います。

それでは下鴨神社にお参りします。

 

<冬枯れの森の中一際存在感を放っていた御神木>

 

クローバー おまけ クローバー

糺の森の一角にある祭祀遺構。

 

<糺の森祭祀遺構>

 

<復元された祭祀遺構>

 

古代のご神威が留まっているような・・・ 不思議と心休まる場所でした。

  

・糺の森(下鴨神社):京都府京都市左京区下鴨泉川町59