御神馬さまが厩舎から出て来られるまで30分ほどあるので、鹿児島神宮摂社・石體(せきたい)神社を訪ねてみることにしました。鹿児島神宮の元宮と伺い、予てよりお参りしたいと思っていたのです。
鹿児島神宮から300m程なので歩いて来ましたが、安産祈願で知られる神社とあって近くには広い駐車場もありました。
<石體神社そばの駐車場>
宮内原用水(江戸期に造られた用水路)に架かる赤い橋を渡り、石體神社へと進んだところ
<石體神社前にある宮坂橋>
その手前に、
<卑弥呼神社>
んん?卑弥呼神社とな?
卑弥呼を模ったものでしょうか?像も立っています。
<卑弥呼像?>
「『魏志倭人伝』に記される邪馬台国の女王・卑弥呼は、狗奴国を治めていた男王・卑弥弓呼(ひみここ)と「素より和せず」の戦闘状態にあり、この戦いの最中卑弥呼は死去したという。その男王・卑弥弓呼は鹿児島神宮の御祭神・彦火火出見命と密に関係があり、後にヤマト王朝になったと推定され、ここに卑弥呼と卑弥弓呼を合わせて祀り、わが国の平和と発展を祈り創建する。<ご由緒より>」
なんだか畿内説支持者に怒られそうですが、家内安全に御神徳があるとのことでお参りさせていただきました。
<卑弥呼神社御社殿>
佇まいから察するに、創建は比較的新しそうですね。
<コンクリート製の拝殿>
<御本殿に「三国志魏志倭人伝 卑弥呼女王之社」の扁額>
それでは石體神社へ参りましょう。
<石體神社(鹿児島神宮元宮)>
彦火火出見命が高千穂宮を営んでいたと伝えられる鹿児島神宮旧社殿地。御社殿が現在の場所に移された今も石のご神体だけはそのまま留まっているそうです。
<石體神社全景>
安産成就の神として篤く信仰される当社。御祭神・彦火火出見命のお后・豊玉姫命が産床も敷かないうちに御子(鸕鶿草葺不合尊。神武天皇の父)をお産みになられたという故事に由来するようで、
<石體神社本殿>
地元では境内に積まれた丸石「御石」をお守りとして持ち帰り産後は河原などで拾った丸い石を2個にしてお返しする慣わしがあるとか。(妊婦さんが参拝しやすいように境内にも駐車場がある)
<御社殿横にある御石>
小高い木々に囲まれ、
<緑豊かな杜>
巨石が点在する境内は神秘的な雰囲気が漂っていて、
<謂れのありそうな大岩>
その昔彦火火出見命さまがお暮しになられたという話も頷ける気がして―
しばし神話の世界に思い浸りました。
さて、そろそろ9時になりそうです。
宮内原用水に沿って再び御本社へと進みます。
<宮内原用水沿いの道>
宮坂橋たもとにある「竜馬ハネムーンロード」の道標。
<龍馬ハネムーンロードの道標>
あの坂本龍馬もお龍さんとこの道を歩いたのかと思うと感慨深い・・・
【龍馬ハネムーンロード】
1866年、坂本龍馬は寺田屋で負った傷を癒すため西郷隆盛らの勧めで妻・お龍とともに霧島へ湯治に訪れた。 この2人の旅行が日本初の新婚旅行といわれており、龍馬が降り立った浜之市(隼人港)からゴールの霧島神宮まで約45Kmの道程に43基の道標が立つ。(画像は道標12)
道の先はちょうど神馬舎そば、御門神社前に通じていました。
<御門神社前に到着>
時刻は9時過ぎ。わくわくしながら神馬舎に行ったのですが、おやつのにんじんカップは並んでいるものの御神馬・清嵐(セイラン)さまのお姿はなく・・・
<きれいに並んだにんじんカップ>
この日はご起床が遅かったのでしょうか?
後ろ髪を引かれる思いで、次の目的地へと向かいました。
<「しゃんしゃん馬」の奉納木馬に清嵐さまのお姿を重ねてみる>
・鹿児島神宮:鹿児島県霧島市隼人町内2496-1 HP