平等院南門を出たら喜撰橋を渡って宇治公園へ。
<右の赤い橋が喜撰橋。中央に見える塔は浮島十三重石塔>
鵜飼船が浮かぶ風景は、なんとも風情があります。
<喜撰橋からの見た宇治川>
宇治川の中洲にある2つの島、塔の島(石塔が建つ島)と橘島から成る宇治公園は、宇治川を間近で見られるベストスポット。
<観流橋。この奥に宇治発電所がある>
青い水がとうとうと流れる様は見た目も涼やかですが、なんといっても川風が心地よい。京都の夏は暑いと聞きますが(実際街中は暑かった)、宇治は比較的過ごしやすいような。宇治川と山が織りなす風景も美しいし、平安貴族の別荘地として人気を集めたのも頷けます。
<朝霧橋から見た宇治川>
朝霧橋を渡り、訪ねた先は宇治神社。創祀1700年という古社です。
<宇治神社>
神さまのお使いが兎であることをガイドブックで知り、卯年だけにお参りしておきたいと思った次第―
<手水舎の兎像>
なのですが。
御由緒を見てびっくり!御祭神が第十五代応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)とな?!ウヂノワキイラツコといえば古事記にも記される悲運の皇子。(古事記の表記では宇遅能和紀郎子)
<御社殿>
『応神天皇は末子のウヂノワキイラツコを皇嗣と定めたが、これを不服とした長兄のオホヤマモリはウヂノワキイラツコ殺害を企む。しかし次兄のオオサザキがこの策略に気付きウヂノワキイラツコに告げたことで、オホヤマモリは返り討ちに会い宇治川に沈んでしまう。
天皇崩御後、オオサザキは父の遺言に従い皇位を弟に譲るがウヂノワキイラツコは受け入れず。互いに皇位を譲り合ううちにウヂノワキイラツコが早世。オオサザキが皇位を継いで仁徳天皇となり、天下を治めた。<古事記より>』
日本書紀にはウヂノワキイラツコは兄に皇位を譲るため自害したと記されており、いずれにせよ、悲しいお話ですね。
宇治橋上流の右岸にあるこの辺りは応神天皇の離宮「桐原日桁宮(きりはらひげたのみや)」跡で、菟道稚郎子命の宮居跡とも伝えられているそうで。命がお亡くなりになられた後、御神霊をこの地にお祀りしたのが当社のはじまりだとか。
「うわーっ、思いがけず古事記探訪になっちゃったよ!」
感動に打ち震えつつ、御本殿前の拝所(中門)にて二拝二拍手一拝。菟道稚郎子命は宇治郷の産土神として信仰されているとのこと。ご挨拶できてよかったです。
正面に安置されるのは「みかえり兎」。
<みかえり兎>
御祭神が宇治に向かわれる途中道に迷われたとき、振り返り振り返り先導しこの地へと道案内したというー
宇治という地名もこの故事「兎道(うじ)」に由来しているとか。
人々を正しい道へと導く神使として崇められる「みかえり兎」。今回当社にお参りした経緯を思うと正しく。お導きに感謝です。
<みかえり兎みくじ>
できればこの先の宇治上神社(世界遺産)まで行きたかったのですが、残念ながらここでタイムアップ。宇治駅へと戻ります。
<朝霧橋の東詰にある宇治十帖モニュメント>
朝霧橋を渡り、橘島から橘橋を通って平等院表参道へ。
<朝霧橋と橘島の「宇治川先陣の碑」>
【宇治川先陣の碑】
寿永3年(1184年)宇治川の戦い(木曽義仲 VS 源頼朝)にて、佐々木高綱と梶原景季が頼朝より与えられた秘蔵の名馬・池月、磨墨にそれぞれ跨り、功を競って先陣争いをしたのがこの辺りとされるらしい。
参道入口にある「京料理宇治川」さんでお昼をいただきました。宇治川を望む3階のカウンター席で
<カウンター席からの眺望>
天ざるセットを。
<天ざるセット>
宇治に来たからにはぜひとも茶そばを食べたかった。
右下の赤い器は胡麻豆腐と湯葉こんにゃく。湯葉こんにゃくはお初ですが、つるくにゅっとした食感がおいしかった~。
実は行く予定だったお店がお休みで「詰んだかな・・・」と思ったのですが、結果宇治川を眺めながらおいしいお蕎麦をいただくことができたので満足です。
ここまでの旅程(7/22)
稲荷駅JR奈良線8:20発城陽行―宇治駅9:37着ー平等院~宇治公園~宇治神社~宇治公園~京料理宇治川(昼食)宇治駅JR奈良線13:05発京都行快速―京都駅13:21着