国の特別史跡に指定される西都原古墳群。古事記の伝承地でもあることから、かねてより1度訪ねてみたいと思っていたのですが、

 

<西都原古墳群がある西都市>

 

訪ねるなら絶対3月!と強く心に決めていました。というのも、この風景が見たかったから。

 

<西都原古墳群の菜の花>

 

うわー、うわー、一面真っ黄色! 壮観です!イエローハーツ

桜が咲くとさらに美しいそうですが、確かに! ピンクと黄色のコラボは最高でしょうね。ニコニコ

 

<菜の花の中の一本道>

 

西都原古墳群は東西2.6Km、南北4.2Kmと広大なうえ、前方後円墳31基、円墳286基、方墳2基(「探訪ガイドマップ」より)と古墳の数も膨大。予めサイト等でチェックし、今回は「男狭穂塚・女狭穂塚」、「鬼の窟(206号墳)」、「13号墳」の3つに絞って見学することに。「ガイダンスセンターこのはな館」で「探訪ガイドマップ」を入手し、

 

<レストランと物産館もある「ガイダンスセンターこのはな館」>

 

<「特別史跡西都原古墳群 探訪ガイドマップ」>

 

位置を確認してから、まずは「男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)」を訪ねました。

 

<男狭穂塚・女狭穂塚>

 

いずれも全長約176m、男狭穂塚は国内最大の帆立貝形古墳、女狭穂塚は九州最大の前方後円墳です。

 

<男狭穂塚・女狭穂塚の模型>

 

地元では前者はニニギノ尊、後者はその妻・コノハナサクヤ姫の陵墓と伝えられており、1895年(明治28年)に陵墓参考地に指定、現在は天皇家の御陵墓として宮内庁により管理されています。(そのため特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲にも入らない)

 

<宮内庁の管理>

 

よって立ち入ることは出来ず(毎年11月の「古墳まつり」の日のみ男狭穂塚の前で参拝できるらしい)、拝所の前から

 

<男狭穂塚・女狭穂塚の拝所>

 

廻らされた柵越しに懸命に目を凝らします。

 

<拝所前から女狭穂塚を拝する>

 

んー・・・ あの小高いところが前方部かな?

 

<図は「このはな館」で入手した案内パンフよりお借りしました>

 

案内パンフによると、男狭穂塚・女狭穂塚の築造は採集された埴輪から共に5世紀前半頃と考えられているそうです。

「だとすると、ニニギノ尊とコノハナサクヤ姫の御陵にしては新しいような・・・」と畏れ多くも思ってしまったのですが(ド素人がすみませんあせる)、女狭穂塚が国内9番目の大きさをもつ仲津山古墳(応神天皇の皇后・仲津姫の御陵と治定)に非常によく似ていることから(大きさはその3分の2ながら設計図は同じと見られている)、女狭穂塚の被葬者を仁徳天皇妃・日向髪長姫(ヒムカノカミナガヒメ)、男狭穂塚の被葬者をその父・諸県君牛諸(モロカタキミウシモロ)とする説があるとか。事実「古事記」にも日向の諸県君牛諸が娘の髪長姫(比売)を仁徳天皇の后妃に入れたことが記されています。

天孫降臨の舞台、神武東征の出発点とされることからも、日向と天皇の結びつきの強さが伺えますし、うーむ、「髪長姫説」すごく頷ける・・・

 

「近くにはコノハナサクヤ姫を祀る都萬神社や伝承地もあるし、

 

<日向国二之宮 都萬神社(2007年9月30日撮影)>

 

わたしとしては二神が仲良く並んで眠るお墓であって欲しいなぁと思うけど・・・

あー、でも大和が一目置く強大な王国がこの地にあったという古代ロマンも捨てがたい・・えーん

なんとも悩ましいです。(笑)

 

<女狭穂塚に咲いていた桜の花>

 

・西都原古墳群:宮崎県西都市大字三宅西都原 HP