葦原中国(地上界)を平定し終え、いよいよ天照大御神の御子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)が天降ろうとしたそのとき、オシホミミに子どもが生まれます。名は日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)。オシホミミはこの子を地上界に降ろすことを提案、天照大御神はこれを受けニニギに天降るよう命じました。

こうしてニニギは地上の統治者として天降るわけですがー

 

どうして御子であるオシホミミではなく天孫のニニギだったのでしょう?

それに、オシホミミには長子・天火明命(アメノホアカリ。母は同じく高木神の娘・万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト))もいたのに、なぜ次子のニニギだったのか・・・

あれ?そういえば、この後主役となる山幸も初代神武天皇も末の子だ・・・

 

って、すみませんあせる 閑話休題。^^;

 

『天照大御神の命に従い邇邇芸命が天降ろうとなさったとき、天の道の八つ辻の分岐で、上は高天原を、下は葦原中国を照らす神がいました。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(アメノウズメノミコト)に「おまえはなよやかな女神だけれども、面と向かって相手の睨みに打ち勝つ神である。行って誰なのか問いなさい。」と仰せになりました。

そこでアメノウズメが行って尋ねると、「わたしは国つ神で猿田毘古神(サルタビコノカミ)と申します。天孫が天降られると聞き、先導をお仕えしたく、こうしてお迎えに参りました。」と答えます。

 

<猿田毘古神を祀る二見興玉神社(2019年3月23日撮影)>

 

<天宇受売命を祀る佐瑠女神社(2019年3月24日撮影)>

 

こうしてサルタビコを先導に、天児屋命(アメノコヤネノミコト/祝詞の神)、布刀玉命(フトダマノミコト/占いの神)、アメノウズメ(巫女)、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト/鏡作りの神)、玉祖命(タマノオヤノミコト/玉作りの神)、5種の職能の首長を加え天降りされました。(「古事記」より)」

 

<玉祖命を祀る玉作湯神社(2010年4月30日撮影)>

 

このとき天照大御神はニニギに鏡と勾玉、そして草薙剣を渡すのですが(三種の神器)、特に鏡については天照大御神の御霊として大切に祀るよう命じ、祀るために思金神(オモイカネノカミ)、手力男神(タヂカラオノカミ)、天石門別神(アマノイワトワケノカミ/宮廷の御門を守護する神)3柱の神まで添える念の入れよう、並々ならぬものを感じます。

 

<天照大神の御霊である鏡を御神体とする伊勢神宮(2019年3月24日撮影)>

 

またニニギと共に天降られた神々を見るといずれも「天岩戸」神話に登場する神々で、「天孫降臨」と「天岩戸」が密接な関係にあることが伺えます。(一説にはその根底にあるのは大嘗祭の秘儀だとか。)

ちなみにタヂカラオは佐奈(那)神社に祀られているとのこと、いつか訪ねてみたいです。^^

 

さてニニギの一行が降臨された場所ですが、「古事記」にはこう記されています。

 

『邇邇芸命は高天原の玉座を離れ、天の八重にたなびく雲を押し分け、天の浮橋にお立ちになられると、そこから筑紫の日向のくしふる峰にお降りになりました。(「古事記」より)』

 

「くしふる峰」というのは「聖なる峰」という意味らしいのですが、筑紫、つまり九州ですが、宮崎県高千穂町にそのものずばり!「くしふる峰」があります。そのくしふる峰の中腹に鎮座するのがくしふる神社です。

 

<くしふる神社(2014年11月9日撮影)>

 

PCだと変換できないのですが、漢字ではこう書きます。

 

<くしふる神社鳥居に掛かる額(2014年11月9日撮影)>

 

辺りは小高い木々に囲まれ、空気は清浄そのもの。いかにも「聖なる峰」という感じです。

参道を進むと御社殿が静かに佇んでいます。

 

<くしふる神社御社殿>

 

くしふる神社の創建は不明ですが、御社殿は1694年(元禄7年)の建立だとか。それまでは山を御神体としていたため、お社はなかったそうです。

 

くしふる神社の近くには高天原遥拝所があります。

 

<高天原遥拝所(2007年1月5日撮影)>

 

天降られた神々が高天原を遥拝したと伝えられる場所。

お参りした後辺りを見回してみたのですが、樹木に遮られ展望はありません。でも天上界を離れ、地上界で暮らすことになった神々がどんな思いでふるさと(高天原)を見やっていたか・・・そう思うと切なくなってしまいました。

 

くしふる神社から山伝いに北に進むと、サルタヒコとアメノウズメを祀る荒立神社があります。

 

<荒立神社(2007年1月5日撮影)>

 

「古事記」ではサルタヒコは先導役を務めた後、ニニギの命を受けたアメノウズメに送られ国に帰ったとありますが(このことからアメノウズメの子孫はサルタヒコの名を継ぎ、猿女君と呼ばれるようになった。)、こちらでは二神は結婚しこの地で暮らしたと伝えられています。

切り出した荒木で急いで建てたお宮であることがその名の由来という荒立神社。木々の中にこじんまりと佇むお社は、いかにも新婚の夫婦神が住まうお宮らしく・・・ サルタヒコとアメノウズメ、2柱の神がいそいそと新居を作る様を想像し、恐れ多くも微笑ましく思いました。*^^*

  

実はもうひとつ、「天孫降臨」伝承地を訪ねているのですが・・・

すみません、長くなったので次回に続きます。^^;

 

【2007年1月5日探訪】

 

・くしふる神社:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713

・高天原遥拝所:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井(くしふる神社近く)

・荒立神社:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井667