企画展示室で「古の美術品」を満喫した後、上野原遺跡の出土品を展示する常設展示室へ。

展示室の入口は床がガラス張りになっていて、その下には上野原の縄文のムラがジオラマで再現されています。

 

<ジオラマで再現された縄文のムラ>

 

上空からムラを見ているみたいでおもしろい♪

ついしゃがみ込んで見入ってしまいました。(笑)←子どもか?

 

上野原遺跡で確認される最古は9500年前(縄文時代早期前葉)。

 

<9500年前上野原に縄文ムラがあったことを示す出土品>
 

2条の道路に沿った竪穴式住居群や、

 

<竪穴式住居(ジオラマ)>

 

集石遺構(石蒸し調理の施設)、

 

<集石遺構(実物!)>

 

連結土抗(燻製調理施設)が発見されたことから、
 

<連結土抗(ジオラマ)>

  

この時代定住化初期の大集落があったと考えられているそうです。

 

「9500年前かぁ・・・」

 

入口に掲げられた年表をしげしげと見ていたら、スタッフさん(学芸員さん?)が興味深いお話をしてくださいました。

出土品の年代は放射性炭素年代測定法で割り出されるのですがその技術は年々進歩していて、改めて測定したところ上野原遺跡はさらに1000年遡るものだと、この日の勉強会で判明したとか。

 

「ですから、こちら9500年前とありますが1万600年前のものということになります。この年表も書き直さなければなりませんね。^^」

 

うひゃーっ、新着ほやほやの情報!ありがとうございます~♪

上野原遺跡の歴史が塗り替えられた記念すべき日に訪問できるなんて、感激です。アップ

 

さて、9500年前・・・もとい、1万600年前既にムラを形成し定住していた上野原の民。その後7000年ほど縄文時代は続くのですが、その間ずっと住み続けていたわけではなく、何度かこの土地を離れているようなのです。

今より寒かったとはいえ九州南部とあって気候は温暖、資源も豊富だったはず。それなのになぜ?―

 

その理由は「火山」でした。

 

<展示館外にある地層観察館>

 

上野原の地層には鬼界カルデラや桜島の噴火堆積物が確認されています。つまり、上野原の民は火山の噴火により移動せざる得なかったのです。

 

火山は脅威だった。

しかし、上野原の民は火山と共にあった―

 

集落とは別の場所で発見された2つの壺型土器、

 

<上野原遺跡を象徴する壺形土器>

 

余程大事にされていたのか、並んで2つ、完全な形で土中に埋まっていたそうです。その周囲に生活の跡が見られないことから、祭祀に使われたのではないかと言われています。

 

今のような科学も医学もない時代、人は自然や死をずっと身近に感じていたでしょう。

 

<肋骨まで表現された九州最古の土偶>

 

「上野原の民は自然へ畏敬の念を払いつつ、その恵みを上手く利用することで豊かに暮らしていたのだろうな。」

 

美しい文様の入った土器や、

 

<火にかけられた跡が見られる壺形土器>

 

装飾品を見てそう思いました。

 

<耳飾り>

 

<火山の副産物・軽石で作られた石製品>

 

上野原遺跡にはもうひとつ特徴があります。それは「海」。

 

「縄文」という名は土器に見られる縄目模様に由来しますが、上野原では貝の縁で模様をつけた土器が多く見つかっています。

 

<体験コーナーにある土器の複製(結構重い)>

 

またこの地域にない黒曜石や翡翠でできた石器や石製品が出土していることから、大分県の姫島(黒曜石産地)や新潟県の糸魚川(翡翠産地)等と交易があったと考えられているとか。

この時代にもう航路が確立されていたなんて・・・!恐るべし、縄文パワーです。

 

ところで、上野原の民はいったいどんなものを食べていたのでしょう?食いしん坊かねしの気になるところ。(笑) 先ほど見た集石遺構や連結土抗によると「焼く」「煮る」だけでなく、「蒸す」「燻す」という調理方法もあったようですが―

 

<左:シチュー、右:いのししのバーベキュー、干し魚の焼き物、どんぐり団子>

 

<左奥:ドングリのクッキー、左手前:シジミのスープ、右:タイとシメジの蒸し焼き>

 

おおっ、すごいごちそうだ~!びっくり

 

野菜としてはクリやドングリの他にヤマイモ、シイタケ、ノビル、ワラビ等、

肉はカモ、イノシシ、シカ、アナグマ等、

魚介はアサリ、シジミ、ハマグリ、エビ、カニ、スズキ、クロダイ、イワシ、コイ、ウナギ、ドジョウ等々食べていたようです。

これだけ採れれば農耕に頼る必要もなかったでしょうか?(燻製して保存もしていたらしい。)

実際約2500年前稲作は伝わっていたものの鹿児島はシラス台地であるため稲作に適さず、あまり広まらなかったそうです。

 

展示館で縄文の暮らしに触れた後、屋外の復元集落に行きました。

 

<復元集落への道>

 

広々とした草地に竪穴式住居が点在する様は壮観♪

 

<復元集落>

 

中にはこんな撮影スポットも。^^

 

<縄文人と一緒に>

 

一見ワラ葺に見えますが、稲作はなかったからカヤでしょうか?それともマコモ・・・?

気になって後で調べたところ、建物の材料が未だ解明されていないためここではカヤを使っているとのこと。未知のエリアが多い分、この先どんな発見があるのかワクワクしますね。*^^*

ちなみに建物には入ることも可能。この日は気温20度で肌寒かったのですが、中はふんわり暖かかったですよ♪(夏は涼しいらしい)

 

復元集落の周りはクヌギやクリ等落葉広葉樹が植えられ、当時の森が再現されています。

 

<落葉広葉樹の森>

 

「これが縄文の森かぁ・・・」

 

雨に濡れ一層濃くなった緑の中、振り返ると木々の間から竪穴住居群が。

 

<縄文の森越しに見た復元集落>

 

一瞬縄文時代にタイムスリップしたかのようで、はっとしました。

 

・上野原縄文の森:鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1-1 HP