宮島桟橋から歩き出すと、早速鹿さんのお出迎え。

 

<鹿さん>

 

って、そこ営業妨害になりませんかね?^^;

 

まずは荷物を預けるため、この日のお宿「宮島の宿 さくらや」さんへ。

 

<宮島の宿 さくらや>

 

てっきりカウンターで預かってくださるものと思っていたら、なんと、チェックインの時間前なのにお部屋に通してくれました。

 

<「さくらや」のお部屋>

 

すごい神対応アップ

実際「さくらや」さんは終始対応がスマートで、とっても気持ちよく滞在できました。^^

 

お部屋に荷物を置いて、身軽になったところで大鳥居に向かいます。

石の鳥居の先に階段があり、そこから下りることもできますが、せっかく潮が引いているので御笠浜(みかさのはま)を歩いてみました。 

 

<御笠浜>

 

真冬並みの寒さだけど、潮風を受け、サクサクと踏みしめる砂の音を聞きながら歩くのはなんとも気持ち良いです。

  

やがて宮島のシンボル・大鳥居の前へ。

 

<大鳥居>

 

すごい!潮が完全に引いて、足元まで行けるようになっています!

 

「ついにこの時が・・・!」

 

実はこれまで2度宮島を訪ねているのですが、いずれもタイミングが合わず・・・ 3度目にしてようやく願いが叶いました♪

 

真下まで近づき仰ぎ見ると、

 

<大鳥居>

 

威風堂々―

あまりの素晴らしさに心奪われます。

 

宮島の大鳥居は高さ約17メートル。2本の主柱を、4本の袖柱で支える両部鳥居です。主柱はいずれも樹齢500年の楠の自然木。

 

<主柱>

 

これほどの大樹をどうやって見つけたのだろうと思うのですが、実際探し出すのに20年かかったとか。地元では大鳥居を後世に引き継ぐため、材料となる楠を育てる取り組みがなされているそうです。

ちなみに袖柱は杉材。柱により木材を変えているのも耐久性を考えてのことらしいです。

 

この大きさだけでも十分驚愕なのですが、わたしがそれ以上に驚いたのが、この巨大建築物が地面に置いてあるだけだということ。

 

<大鳥居の足元>

 

なんでも地中に松の杭を打ち込んで地盤を強化したうえに礎石を置き、その上に載せているのだとか。

さらに安定を図るため、屋根下の笠木/島木は箱型になっていてその中に重しとして約7トンの玉石を敷き詰めているそうです。

現在の大鳥居は明治に造られたもので9代目ですが、800年も前からこの構造が用いられていたというのですから先人の知恵ってすごいですね。

 

さて大鳥居を間近で拝見できるまたとない機会、改めて見上げてみます。

 

掲げられた扁額は明治の軍人でもあらせられた有栖川熾仁(たるひと)親王の御染筆で、海側には「嚴嶋神社」、

 

<扁額(海側)>

 

神社側には「伊都岐(いつき)島神社」とあります。

 

<扁額(神社側)>

 

両方とも神社名ですが、神社側は万葉仮名になっていて、それというのも古来「厳島」は「神を斎(いつ)きまつる島」と称していたからだとか。「嚴嶋」となったのは平清盛が現在の御社殿を造営してからだそうです。

 

屋根下、東側には太陽の印が、

 

<太陽の印>

 

西には月の印があります。

 

<月の印>

 

これは風水上北東は鬼門とされ、鬼門封じとして東に太陽、西に月を記したのだといわれています。

 

随所に先人の工夫が見られる大鳥居、つい時間を忘れ、惚れ惚れと見上げていたのですが、

 

「そろそろ行かないと。まだ行くところあるし・・・」

 

そうだった!

相方の言葉にはっと我に返り、大鳥居を後にしました。

 

<大鳥居から見た厳島神社御社殿>

 

・厳島神社:広島県廿日市市宮島町1-1 HP

・宮島の宿さくらや:広島県廿日市市宮島町853-1 HP