古典技法額縁制作修復 KANESEI
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

一匹狼が三匹

 

東京はある日突然に、秋になりました。去年の秋の始まりもこんなでしたっけ?

 

出不精のわたしですが、久しぶりに会った友人二人とお互いに最近の経験と考えていることを話し合って、そして励ましあって、ずいぶんと元気になりました。

分野は違えどひとりで制作している、またはフリーで活動している友人ですので、一匹狼気質といいましょうか、改めてそんな共通点を感じたのでした。

 

▲夏に食べたプラム、美しい色

 

わたしたちに「気づき」を与えようとしている人がいて、でもその人たちは言葉で何かを与えてくるのではない。きっかけだけを提示して、こちらの様子をうかがっている。

どんな気持ちでこの作品を作ったのか?

あなたは自作のものに対して、どの程度の考えを持って発表しているのか?

などなど・・・。

それをわたしたちが受け取るか受け取らないか(受け取る気にならないか)は、そして考えて答えるにはタイミングが大切だよね、と言うこと。

 

なんだかお互いに共感して、「うんうん、そうだよねぇ・・・」を繰り返した午後でした。そんな時間が必要だったのでしょう。

 

 

もし入れるものが決まっているのなら

 

過日、ご注文頂いていた小箱が完成しましたのでお引渡ししました。

お客様でもある知人の方とは定期的にお目にかかる機会があるので、お互いの様子や好みも分かっていましたし、ご注文の際にとても分かりやすくご希望を伝えてくださっていました。ですので制作も大変に順調に進みました。

 

そして、この小箱はお客様にとって大切な、とても思いの籠ったものを入れるためにご注文下さいました。わたしは光栄な気持ち、そして厳かな気持ちでお引き受けいたしました。

デザインやお好みの打ち合わせも大切ですが、小箱の目的をお聞かせいただく事は制作をする気持ちの上でとても大切なことです。

完成してお引渡し後を想像しつつ作ることが出来ました。

 

さてさて、その小箱ですが。

豆小箱の面取りをして、パスティリア(石膏盛上げ)で蓋にはイニシャルを、側面にはポチポチを入れて欲しい、仕上げは金箔に古色をつけて・・・とのご希望。

 

▲ K・W イニシャル。箔を磨いて装飾を終えたところ。ピカピカです。

 

▲パスティリアによる側面ポチポチ。

 

指が映るほどピカピカの金箔ですが、ここから磨り出しをしてワックスとパウダーでアンティーク調に加工しまして、完成でございます。

 

 

金箔に深みが出ました。

 

 

パスティリアで凸になった部分は、擦り出して下地の赤ボーロが見えています。

 

 

打ち合わせ時に「中は何色にしますか?」と尋ねましたら、「グリーンにしてください、一番好きな色ですので!」と即答してくださいました。

さてグリーンと言っても色んな緑色がありますね。

一瞬「ふぅむ」と思いつつも、そういえば彼女、腕時計のベルトがモスグリーンだったな、冬はコートの色もモスグリーンだったなぁ・・・と思い出し、その色を。

 

お引渡しの時、「ああ、この色~これこれ!」と喜んでくださって、わたしも大変うれしく思ったのでした。

またひとつ、わたしの小さな娘(小箱)が生まれて嫁ぎました。なんたる幸せ。

 

 

暗いって怖い

 

またもや、忘れたころに登場のフィレンツェ滞在記です。

 

フィレンツェ旧市街、ドゥオーモから北東にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会があります。教会前広場があって、横には私が大好きな美術館「捨て子養育院美術館」もあります。

 

▲前方の白いアーチがサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会

 

わたしが大学卒業後すぐに留学したころ、この教会前広場はドラッグ売買がされたり薄暗いイメージで、夜にはあまり近寄らない場所でした。最近はすっかり印象も変わって整備されて居心地の良い広場になっています。

 

さて、そんな場所にありますので留学時代は近寄らない教会でしたが、わたしの彫刻師匠グスターヴォの工房からほど近く、最近は工房からの帰りに寄り道していました。グスターヴォ曰く「フィレンツェで一番美しい教会だと思う」とのこと。

 

入口すぐには明るく美しい回廊のポーチがあって、いざ教会内に入りますと、こちらは別世界なのでした。

 

▲窓の外は青空だけど、中は別世界

 

歴史は古く、1481年に完成したそうですが、内部の装飾はバロック様式。濃いグレーの大理石のせいか、暗く厳かな雰囲気です。

 

▲天井装飾もまるでローマの教会のようです。

 

入ってすぐ左には銀器が並ぶ小礼拝堂があって

 

▲ミケロッツォによる小礼拝堂

 

天使の天井画も美しい。

 

 

なのですが、どうにもこうにも怖いのです。

恐らく、暗いこととライティングの効果とは思うのですが、冬に日が暮れてから訪ねると、寒さと静けさとお香の香りと、何もかもが押し寄せてくるような。

信仰の重みと歴史の重みと、外界と隔てられた空気の重みが圧し掛かってくるような。

 

大好きなサン・ミニアート・アル・モンテ教会と、サン・レミージョ教会、川向うのサンタ・カルミネ教会、そしてこのサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会がわたしにとって4大「怖い教会」です。

いえ、怖いなんて失礼極まりますね。前述の通り暗いのが一番の理由です、きっと。(でもそれだけではない気がしています・・・。)

 

怖い怖いと言いつつ、必ず何度も訪れてしまう教会。まるで落語のようです。

 

 

 

旅の記憶と小箱の物語

 

これは、モロッコ・タンジェのスークとイスタンブールのバザールを歩いた時の記憶を思い出しながら作った物語です。

。。。。。。。。。。。。。

 

香辛料とコーヒーと人々の体臭と、ありとあらゆる匂いが積み重なったバザールで、私は出口を見失っていた。

道を尋ねようと思ったその店は薄暗い路地にあった。入口横には安そうな土産物が並んでいる。

私はただ道を尋ねるのも悪いと思い、商品を選ぶふりをして店に入った。

 

狭い間口とは裏腹に案外奥は深く、いくつかの小部屋が続いている。

4つ目の部屋に差し掛かった時、ふと目に留まった小箱があり、手に取った。

 

五十がらみの退屈そうな店主が、いつの間にか音もなく私の後ろに立っていて驚いた。

「これは俺の爺さんが集めた骨董の残りだ。爺さんは骨董商をしていたけれど俺が生まれる前に死んだ。だから、今残っているのはこの棚にあるだけだ。」という。

 

聞けば彼の父親は骨董に興味が無く、祖父の死後ほどなく土産物店にした。だが奇特な外国人観光客がたまに買っていくから、そのまま並べているそうだ。

 

「この箱がいつのものか?さぁてね、爺さんがどこで買い付けていたのか知らないから、もう分からない。」

「何に使われていたか・・・?それを知ってどうするんだ?箱は箱さ。持ち主が好きなものを入れるためにあるのさ。」

 

道を聞くために入った店で、古びた小箱をひとつ買って出た。

新聞紙で包まれたその小箱を握って、ぼんやりと使い道を考えながらしばらく歩いたが、ふとバザールの出口を聞くのを忘れたことに気付いた。

その店があった場所はすでにいくつかの路地の向こうで、もう戻る道は分からなかった。

。。。。。。。。。。。。。

 

 

 

なんちゃって・・・そんな旅の思い出に誰かが持っていそうな小箱、のイメージ。

彼が買った小箱が本当に骨董品だったのか、似せて作られた物だったのか、わたしにも分かりません。

 

さて、わたしが作った新しい小箱ですが、模様は西洋の本にあったものなのですが、完成してみたらいつの間にか、いずことも知れぬ雰囲気になっていました。

 

 

 

 

124×58×20mm

 

 

 

あっちとこっちと、感覚は違う

 

小箱に装飾をしながら小さな額縁も作る。

どちらも木地にボローニャ石膏を塗って磨いて、ボーロを塗って箔を貼って磨いて・・・と、材料も手順も同じだけれど、なにやら向き合う気持ちは違うのです。

箱は5面(4側面と上面)に対して額縁は1面もしくは彫刻で3Dだから?いや違うな、額縁も5面ですな・・・やはり大きな違いは塊りか枠か、ですかね・・・。

 

ともあれ、箱に疲れたら額縁に行き、額縁に行き詰まったら箱に行き・・・そんなことをしています。

 

 

この額縁も箱に石膏を塗るタイミングにあわせて木地を作って、まとめて石膏を塗っておいたもの。いつも頭の片隅にあって、どんなデザインにしようかな・・・と呑気に考えていました。そしてこれまた箱にパスティリア(石膏盛上げ)をするタイミングで、この額縁にもパスティリアでポチポチを並べました。

 

 

何の変哲もないデザインなのですけれど、角をカットしたことで少し柔らかさが出たかな、と思います。

ポチポチのサイズや間隔でも実は結構な変化が出るのです。ポチとポチの間が詰まるほどクラシカルな印象になったり、ポチのサイズが大きくなると迫力は増すけれどバランスは難しくなる、とか。

 

ああでもないこうでもない・・・と下描きで試しながら考える時間はとても楽しくて、完成した額縁を眺めてひとりでニヤニヤしています。

 

 

今年も12月に箱義桐箱店 谷中店で小箱の個展をさせていただく予定です。その際に、この額縁を含めたハガキサイズの額縁を数点ご覧いただけたらと思っております。

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>