30代でも出来た!!海外チャレンジ日記!!

30代でも出来た!!海外チャレンジ日記!!

新卒採用で入社した会社を33歳で退職し、34歳で渡豪。
仕事ばかりしてきた女の今を現在進行形で書いています。

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「あーーーーーー、行きたくない。」

起きたら、頭痛がする毎日。

 

仕事行かなきゃ。

 

オフィスに着いたら、あれやって、これやって。

○○さんが来る前に終わらせなきゃ。

期日いつまでだっけ。

あー、これ漏れてるな。いいや、私がやっておこう。

 

責任感が強い私は、どんどん出社時間が早まり、退社時間が遅れていった。

上司は「ほら、一緒に帰るよ!」と、毎日のように声をかけてくれた。

ちゃんと気にかけてくれていたことは、事実だ。

 

だけど、何となく頼りたくない気持ちもあった。

営業から本部に声をかけてくれた上司。

結果を出して、本当に私がここに来て出来ることを証明したかった。

 

私が鬱状態になっていった、もうひとつの大きな原因なったのが、Aさんの存在だ。

Aさんとは同時期に本部に異動になった。

以前、本部で働いた経験があったAさんは、どんどん仕事をこなしていく機動力のある人だった。

でも、とても厳しく、裏表のある人でもあった。

 

上司でも同僚でも、取引先へも自分が正しいと思えば意見する。

目をつけられたくない存在の人だった。

 

「ねぇ。なんでそれにそんなに時間がかかるの?」

 

イライラの矛先が私に向くのはそんなに時間がかからなかった。

この仕事に慣れていなかった私は、確かにミスもあったし、手探りでしか仕事を進められないでいた。

少しでもAさんの思うタイミングで終わっていないと、大きめのため息と共に「もういいわ。」の一言。

しかし、やっかいなのがもう反面のAさん。

3分前にイライラを全力でぶつけたはずの私を、「はるかちゃーん、ランチ行こう?」と誘ってくる。

そこからは、愚痴の嵐。

 

「あー、この人しんどいなぁ。 極力離れて仕事しよう。」

 

そう心に決めた。

が、そうはいかないのが仕事。

割り切っても、距離をとっても、心がどんどん蝕まれていくのが分かった。

私は耐えきれず、上司に相談した。

どうにかチームを変えてもらえないか、仕事は楽しくなってきたがAさんと仕事をするのがつらい、と。

結果、私がチームを離れることで決着。

 

 

しかし、私がチームを離れて2週間後、同じチームにいた1人が鬱で退職した。

原因はAさん。

完全ないじめだ。

矛先が変わっただけで、Aさんは何も変わっていなかった。

 

上司からの指示を無視し、Aさんの独断で進められる仕事。

 

今でもなぜAさんに対して誰も、何も行動しなかったのか分からない。

上司でさえもコントロール出来なくなっていたと、私は思う。

 

そして、私はメンタルクリニックへ通うことを決めるのです。

 

また書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『仕事をやめたい??? 何で???』

 

直属の上司にすぐ相談するのは何となく気が引けたので、先輩に相談することにした。

先輩から見て、私は上昇気流に乗ったように昇進していき、いつも仕事が楽しそうだったと。

確かに、今思えば同期よりも早く大きな仕事を任せてもらったりしていた。

でも、それは周りの方のサポートが絶大だったからであって、私の実力ではないと心底思っていた。

 

『まぁ、そんなに焦らずに考えてみたら? 若いんだし。』

 

(え?33歳の私に言う?? 若い?? 考えるっていつまで??)

(そういえば、私の力で出来た仕事ってあるのかなぁ…。)

 

基礎がしっかりしていた会社だったので、きちんと仕事を教えてくれ、評価も毎期きちんとしてくれた。

体育会系ではあったため、体力的には本当にきつかった時もある。

理不尽な言葉で辞めたいと思ったことは、一度や二度ではない。(多分、100回はある。)

 

でも、チームで成果を上げ、目標を達せさせていく過程が大好きで、この会社が大好きだった。

今思い返しても、この会社で出来る仕事は私の天職だと今でも思う。

 

どうしても埋まらない、何かの隙間が心の中にずっとある。

「仕事がやれている」という現状は、実際は私の力ではないのかも知れない。

真面目すぎる、と良く言われる。本当に良く言われる。

考えすぎ、もっと気楽に、これもかなりの頻度で言われる。

もっと多角的に物事を見てみなよ、客観的にさ。

 

アドバイスをもらえばもらうほど、何だか自分の「拘り」を否定されてる気さえしていた。

 

真面目に考えて、

考えて、

あとで困らないように、

迷惑をかけないように、

成果が最大に出るように、

 

そう、私は鬱状態になっていった。

 

 

また書きます。

 

 

 

 

 

 

 

日本人からなんとなく英語を話せることに憧れるはず。

私はその中の一人で、漠然と、かっこいいなーなんて考えてた。

 

実は私の働いていた会社内では、英語を使う風潮ができはじめていた。

どんどん海外へ出て行く戦略だった。

同期や新入社員で英語ができる子はどんどん新しいフィールドへ。

 

上昇志向の強かった私は、単純に、うらやましかった。

劣等感というか、英語を話す輪の中に入ると存在を消している自分がいた。

 

2018年10月。

大きな仕事が落ち着き、少しだけ自分のことを考える時間があった。

『これから、なにしようかな。』

無気力とは違う、何かチャレンジしたいのに言い訳している自分に気づいた。

 

「○○だったら、△△だし。」

よくあるパターン。

仕事あるし、料理できない。

時間がないし、痩せられない、みたいな。

 

いや、待てよ。仕事辞めたらどうだろう。 

考えたことなかったなー。

だって、このポジションだって12年目にしてやっのに、、あと掴んだのに働いてきたじゃん。

 

ちょっと、誰かに相談してみようかな。

 

また書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

『自分ってこのまま死んでいくのかなぁ・・・』

 

33歳になって、すぐの週末にそんなことを考えていました。

友人と焼き肉を食べに行って、ビールを浴びるほど飲んで、でも終電で帰れてしまう(帰る使命感のある)大人。

 

仕事は激務だけど、慣れてきたし順調といえば順調。

同じ年の働いている女性の中でもきっと稼いでいた方。

お金にはそんなに困っていなかったし、多いときでは毎月12万円も貯金に回してた。

ボーナスも全部貯金。

(もちろん、今では考えられない。笑)

 

でも、なぜか、私って何が出来るんだろうなぁーなんて考える時間が増えていました。

33歳というと一般的には、

・結婚2~5年目(私調べ)

・子供2,3人

・ファミリーカー購入

・一戸建購入

・マンション購入  など、、、

 

安心できる環境っていいなぁーとうらやましい反面、『いや、本当はそんなに憧れてないな、私』という面も。

きっと、自由出来る方が好きだったから。

 

でも仕事にかなりを時間を費やしてきたので、大した趣味もありません。

独身女性あるあるのジム通い=続かない、料理教室=誰に作るの?、観葉植物=家にいなさすぎていつも枯らす、、、、、

彼氏もいない。

え?? 大丈夫?? 私・・・。

 

こんな私が唯一憧れていたのが、『海外に住んで、英語が話せるようになること』。

会社では英語を話せる新入社員が増えてきて、ポジション争いもあるんだろうなぁ・・・と不安にもなってきていました。

英語かぁ…。

学生時代から好きな教科だったし、興味はあるけど、現実味がない。

話せるようになる気がしない。

 

漠然とした「夢」でしかなかった私が、今、オーストラリアで学生をしています😀

 

つづきは、また。