男衆に抱え上げられて自分の部屋へと運ばれた後も、私は吐き続けた。
と言っても、昼餉以来何も口にしていなかったため、出るのは僅かな胃液ばかり。
吐いても、吐いても治まらない嘔吐の欲求に、唾液と涙にまみれ、痙攣する胃を抱えたまま、いつしか絶え入るようにして眠ってしまった。
―――らしい。
私が覚えているのは、障子越しの月明かりで見た秋斉さんの顔と、頬に触れた手。
胃酸で焼けた喉で、伊東さんの所在を尋ね、九州遊説の旅からまだ戻らないとの答えを得たことだけ。
その後、何度も繰り返し見た、毛穴という毛穴から線虫が顔を出すというおぞましい夢から覚めて、泣きながら助けを求めても、応えてくれる人はなかった。
一度だけ、番頭さんが様子を見に来てくれたタイミングで目覚め、秋斉さんは所用で下坂したのだと聞いた。
それが、明け方だったろうか。
申し訳ないことに、番頭さんは、私のために自宅に戻らず、置屋に詰めてくれていたらしい。
日が昇るとすぐに宗庵先生が呼ばれ、診立ては例によって「疲労からの発熱」。
煎じてもらった薬湯は、いつもより桂皮の香りが強かった。
疲労はあるけれど、嘔吐も、熱も、むしろ精神的なものだろう。
(今、しなければいけないこと・・・したいこと)
見慣れた天井の木目を眺めながら、私は自分の内をのぞきこんだ。
昨夜あれほど吐き戻したのは、土方さん襲撃の首謀者が、三木さんではないかと、引いては伊東さんの関与を疑ったからだった。
土方さんがいなくなって、一番得をするのは、伊東さんだろうと思ったから。
あの、いっそ鼻につくほどの健全さ、真っ当さが作り物なのかもと思うと、今でも胃がひくつく。
けれど、一晩置いて冷静になってみると、見当違いな推量である気がする。
伊東さんが善人ぶっただけの腹黒い野心家だとすれば、秋斉さんは決して心を開かないはず。
それに、伊東さんは今、九州にいる。
伊東さんは、白だ。
本当にそうか。そう思いたいだけか。
いずれにせよ、沈香のことを漏らせば、土方さんが導き出す答えは一つしかないように思える。
一つ寝返りを打って、私は更に考えを巡らせた。
伊東さんは一旦置いて、三木さんはどうか。
藤堂さんの文から香ったのは、本当に枡屋さんの沈香だったのか。
間違いないとして、それが三木さん関与の証拠になり得るのか。
こちらも、真相はどうあれ、土方さんが出す答えは、伊東さんの場合と同じになりそうだ。
また一つ、寝返りを打つ。
必要なのは、証だ。
伊東兄弟が黒か、はたまた白か。
断ずるには、証がなくてはならない。
となると、私がすべきことは、熱を下げること。
一刻も早く回復して、寝床から出る許可を得ること。
(今は、休まなきゃ)
そう自分に強いるまでもなく、薬湯の効能だろうか、瞼を閉じた私はすぐに眠りの深い淵へと引きずりこまれていった。
その甲斐あってか、次に目を覚ましたとき、節々に気だるさは残るものの、身体はずいぶんと軽くなっていた。
部屋の中は暗く、隣室から漏れる灯りもない。
日が落ちて、月が出るまでの時分だとすると、五ツ時。
心積もりよりも長く寝入ってしまった。
新選組からの使いは、もう来てしまっただろうか。
お夕さんのことだけでも、伝えておきたかったのだけれど。
番頭さんに尋ねて見ようと、私は長着を羽織って床を這い出た。
立ち上がると、まだ少し眩暈がする。
喉の乾きは感じたが、食欲はない。
廊下を渡り、男衆が食事をとる板間に顔を出すと、たむろしていた一人が「もうええんか」と声をかけてくれた。古手の佐平次さんだ。
土間からは、晒しに包んだ包丁を手にした染次さんがこちらを見ている。
相変わらずの茫洋とした立ち姿から、感情は読み取りにくいが、心配してくれているのだろう。
「はい、おかげさまで」
「無理しんと、はよ元気になってや。あんたのこさえる菜(さい)がないと、物足りんさかい」
佐平次さんが言うと、他の人も頷いた。
番頭さんと、台所番以外の男衆は、入れ替わりが激しい。
どういう雇用形態なのか知らないが、見かけなくなったと思ったら、また舞い戻っていることもある。
彼らは総じて無口の域を越えて寡黙な人ばかりで、日ごろ私に話しかけることはほとんどない。
そんな彼らが、私の作るおかずを楽しみにしていてくれると知れて、状況が状況ながら嬉しかった。
ありがとうございます、と応えて、覗いた帳場には誰もいなかった。
「番頭はんやったら、さっき出かけはったで」
怪訝に思ったところへ、板間から声がかかる。
「奉行所に呼ばれたんや」
「え?新選組じゃなくて?」
思わず問い返すも、新選組にしたって番頭さんを連れて行く意味はないだろう。
何がどうなっているのか。
困惑する私に、佐平次さんは言った。
「紙屋川に浮かんだ仏が、どうもここにいた太夫らしいんやと」
―――悪夢はまだ続きそうだった。
続く