第四部・五話(伊東・毛内) | さらさの「粗野がーる」

さらさの「粗野がーる」

アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください





将軍の死、幕軍の敗戦、各地で相次ぐ諸式の高騰、それに伴う一揆や打ち毀しもなんのその。

ここ、島原は常と変わらぬ桃源郷。


凋落する幕府の権威とは裏腹に、京の治安を担う新選組の威勢は衰えを見せず、入れ替わり立ち代わり、いずれかの幹部が登楼している。


どの幹部にも、それぞれに、お気に入りだったり馬の合う隊士というのがいて。

一つ座敷に集うメンツというのは、そうそう変わらない。


たとえば、伊東さんなら、同じ時期に江戸から上って来たお仲間たちと。

そこに今夜は、違う顔。

何故だか、永倉さんが混じっていた。


「三郎殿はどうされたぃ」


三味線と謡、手拍子と調子外れな合いの手で騒がしい中、ひょいと投げかけられた江戸訛りに、お酌をしていた手元が狂った。

銚子の口がガラスの杯に当たり、チンと鳴る。


失礼しましたと謝る私に目元で笑った伊東さんが、満たされた杯を口に運んだ。

そうしておいて、問いかてきた相手、永倉さんへ小指を立てて見せる。


「できたようでね」


―――つまり、恋人だか情婦だか知れないけれど、通う女性が。


そんな下世話な仕草すら、伊東さんがすると品がある。

一方で、永倉さんは、たちまち目を輝かせて身を乗り出した。

どこの女だ、どんな女だと言い立てるのを、伊東さんが詳しくは知らないと笑っていなす。


二人のやりとりを、私は、とある出来事を思い出しながら聞いていた。

簪につけるつまみ細工を頼まれて、某両替屋を訪ねたときのことだ。


両替屋から出てくる三木さんと、それを見送る番頭さんと。

三木さんの姿が消えるまでは頭を下げていた番頭さんが、丁稚を呼んで塩を撒かせた。


事情を聞くと、以前より、新選組から「御用達」になるよう話が来ていた。

新選組の「御用達」とは、金ヅルと同義語。彼らから要求される金は桁が違う。降って湧いた災難を、店側と新選組両長、つまり近藤さんと土方さんの間に立って治めてくれたのが、三木さんだった。

三木さんの仲立ちで、「御用達」の危機は去ったに思えたが、今度は三木さんが金を無心にきたのだと言う。


番頭さんによれば、「所用のため江戸へ下る路銀を借りたい」という申し出だったとのことだけれど、もしかしたら、女性のためなのかも知れない。


「お互いもう子供でもないのでね。ただ、身を慎むようにとは言ってありますよ」

「賢明だ。下手を打って腹を切らされちゃあ、かなわねぇもんな」


また、手元が狂った。

土方さんのことを当てこすられたかと思ったのだけれど、永倉さんにそんなつもりはないらしく。

声をかけてきた別の隊士の下へと、席を立って行ってしまった。


よく考えてみれば、元々永倉さんは、私を山南さんの愛人だと勘違いしていたのだ。

それは、伊東さんも同じだったはず。

ただ、先日、三木さんに土方さんとの後朝の別れを目撃されているから、伊東さんにも伝わっているかもしれない。


そこら辺りどうなのだろうと、上目に伊東さんを窺えば、彼は掌で口元を隠し、そっと耳打ちをしてきた。


「どうも夜鷹のようでね」

「はあ」


何のことかわからず、生返事をした私に、伊東さんが再び小指を立てる。

要するに、三木さんのお相手が夜鷹、ここ京では橋君と呼ばれる、街娼だということらしい。


「困ったものだ」

「いや、でも、伊東さんも」


言いかけて、飲み込んだ。

けれど、言わんとするところは伝わってしまったようだ。


杯を口に運んでいた伊東さんは軽く咽せ、ついで抗弁を始めた。


「私は、おマサさんに不埒な思いを抱いてはいないよ。ただ、その、そうだ。義憤に駆られて」


しかつめらしく言い立てたかと思うと、決まり悪げに黙りこむ。


「・・・秋斉は、何と言っていたかな」


随分ざっくりした質問だ。

話の流れ上、おマサさんのことだというのはわかるけれども。


「身の上は聞きました」

「ふむ」


それから?と視線が促してくる。


「そのぉ・・・伊東さんは、生活の面倒を見ておられるだけで、いわゆる男女の関係ではないってことも」


これって、本人を目の前にしてする話か?

居心地悪く正座したお尻をもぞつかせる私をよそに、伊東さんは「そうかそうか」と満足気だ。


「ただ、秋斉さんは、こうもおっしゃってましたよ」


言葉を繋いだのは、途端に伊東さんが放ち始めたキラキラが鼻についたからだ。

不幸な境遇の女性を保護し、その見返りを求めようともしない伊東さんは、疑いようもなく立派な人だ。

でも、その正義漢っぷりを誇示されると、なにやら面白くない気分になる私は、へそ曲がりなのかもしれない。


「やせ我慢してんと、素直に可愛がってあげはったらええって」

「げふっ」


伊東さんが、今度こそ盛大に咽かえった。


「そうしたら、おマサさんも安心できる。誰彼かまわずに帯を解こうともせんやろうにって」


話しながら、手ぬぐいでお酒の零れた伊東さんの袴を拭う。

背後では、投扇興が始まったようだ。

雅な遊びであるはずの投扇興も、いまだ浪士気分の抜けない面々にかかっては、負けん気満々でスポーツの如く、異様な熱気に包まれている。


「し、しかし、そんなことをしては」


そんな中で、誰もこちらを気にしている人なといないのだけれど、それでも他人の耳目をはばかっているのか、反駁する伊東さんの声は小さかった。


「他の浅ましい男共と同じになってしまう」


汚れた袴の膝を掴み締め、ぼそりと呟いた伊東さんは、ちっともキラキラしていなかった。

ただ、だからこそ、伝わってくるものが確かにあった。


伊東さんは、おマサさんに『本気』なのだと。


「同じになんか、なりませんよ」


お続きどうぞと向けた銚子を、伊東さんが戸惑い顔で受けてくる。


「女にとっては、そこに誠があるかないかで、全く違いますからね」


蝋燭の炎を映すガラスの杯に、銚子の中身を注ぎ切る。

言いたいことも言えたことだし、丁度いい。


「お酒を足して参ります」


言い置いて、座敷を出たところで、ふと思い出した。

すっかり頭から飛んどいたけれど、伊東さんには確か、江戸に奥さんがいるのではなかったか。


出身は水戸かどこかあっちの方の藩で。

お父さんが不祥事を起して浪人することになって。

剣術の腕を見込まれ、江戸の道場に婿養子に入った。


そう、聞いた気がする。


「伊東さん、奥さんいるんじゃん!」

「いや、もういませんぞ」


聞く人のいないはずの言葉に、応える声があって驚いた。

盆の上で銚子が踊り、更なる冷や汗をかく。割りでもしたら、給金がふっとぶ。


「あれは、水無月の頃でしたかな。江戸に下った際、離縁されたそうな」


心臓のパクバクが止まらずにいる私に、のほほんとした声音で教えてくれたのは、遅れてきたらしい毛内さんだった。

何を忍ばせているのやら、こんもりと盛り上がった懐から、すりこぎのようなものが覗いている。


それにしても、おマサさんへの気持ちが芽生えたからなのか、離縁とはまた。


「嫁御が、伊東さんの母御が倒れたと文をよこされましてな。慌てて帰ったら嘘だったとかで」

「・・・寂しかったんですね、きっと」

「うむ。残念なことに、新選組の評判も芳しくないらしく。嫁御の不安もいた仕方なし」

「なら、なにも離縁しなくても」


新選組の隊士を、夫や恋人に持つ身には、常に心配不安が付きまとう。

それがよくわかるから、言わずもがなだと知りながら口にせずにはいられなかった。


「それも伊東さんなりの、気働きかと存じる」


けれど、毛内さんの答えは一歩先。


「離縁されても、嫁御は家付き。婿なり養子なりをとれば、道場も再開できる故、新選組隊士の妻でいるよりは、安気に暮らせようというもの。大切だと思えばこそという向きもありましょう」

「・・・・・・」


振り返って、襖の向こうの伊東さんを思った。

このまま彼は、おマサさんに思いを告げることはないのかしも知れない。


守りたいから、遠ざかる。

大切だからこそ、近寄らせない。


その気持ち、わからなくはない。


(―――わからなくはないけどっ)


ムラムラムラッとこみ上げてきた、いつぞやの腹立ち。


(男ってやつは、男ってやつは、男ってやつはっっ!)


座敷にとって返し、伊東さんの胸倉を掴んでやりたい衝動を抑える。

そんな私の胸の内など知る由もない毛内さんが、「ところで、さくら殿」と膨らんだ懐をごそごそし始めた。


「新たな得物が、仕上がりましてな。なかなかに扱いが難しいのでござるが、さくら殿ならきっと」


現れたのは、金具で繋いだ三本のすりこぎ。

三節棍と呼ばれるものだ。


「永倉殿から聞き及んでおりますぞ。なんでもさくら殿は、新選組の元の局長、彼の芹沢鴨をすりこぎ一本で叩きのめしたそうですな」


嬉々として語られる尾ひれのついた黒歴史。


―――伊東さんの胸倉を掴むのはダメでも、三節棍で永倉さんをぶん殴るのはアリだろうか。


五の二話に続く