新選組の面々が引き上げていった後の座敷に、羽織が一枚取り残されてていた。
浅黄色に白いだんだら模様が染め抜かれたそれは、新選組の隊服だ。
以前はよく見かけたものだけど、市中を歩いていても、着用している隊士はめっきり減った。
返しに行かないといけないだろうか、預かっていればいいだろうかと思案する番頭さんに、私が返しておきますよと預かったのだけど。
文机に頬づえをつき、いまだに使わず飾っている湯呑を指先で撫でる。
暦はもう六月に入り、先日、土方さんはもうこちらに戻ってきていると四条で会った藤堂さんに聞いた。
落ち着いたら知らせると言っていたのに連絡がないということは、まだ落ち着いていないということであり、そこに自分から出かけていくのは気が引けた。
(早く会いたいなー・・・・・・)
山崎さんが言外ににおわせた、土方さんの心の疲弊。
私になにができるというわけではないにしても、いつもみたいになんでもない話をしているうちに、少しでも気分を和ませてくれたら。
「さくらはん?」
「・・・はいっ」
文机に突っ伏してため息をついていると、廊下から秋斉さんに声を掛けられ、私はあわてて姿勢を正した。
こんなだらしない姿を見られたら、行儀が悪いと叱られる。
引き開けた障子の向こうでは、色とりどりの反物を抱えた秋斉さんが立っていた。
「わあ、綺麗ですね。新調なさるんですか?」
「へぇ。慶喜はんに沢山頂いたさかい、仕立てに出そかと思いまして」
「あ、はい。行ってきますよ」
お使いの依頼だと察して、反物を受け取った私に、秋斉さんの眉根が陰る。
反物を手放して空いた手が伸びて来て、目の下をそっとなぞられた。
絽の着物を着ていても汗がにじむほどの気温なのに、秋斉さんの手はひやりと冷たい。
「えらい、クマどすな。またよう眠れてへんのやろう?」
「あはは・・・・・・」
図星だった。
毎日というわけではないものの、悪夢にうなされる夜は多い。
誰だかわからない人の背中をさする、例の夢だ。
内臓すら吐き出してしまうのではと思われるほどの勢いで繰り返される咳。
苦しみをなんとかやり過ごそうと、縮められる体。
そして、目を射る赤が散る。
貴方は誰・・・と問いかければ、背中の主はじわじわと振り返る。
振り返り切る時もあれば、途中で飛び起きてしまうこともあり。
振り返り切った時でも、その顔は黒々とした闇に覆われていたり、解かれた髪に隠されて見えなかったりで、いまだそれが誰なのか判然とはしない。
―――いったいあれは
「沖田はんと、なんかありましたんか」
「えっ?」
誰だったのかと考え込んで、自然秋斉さんから逸れた視線を、思いがけない言葉で引き戻された。
「沖田さん? どうして、ですか」
沖田さんとは、草履を届けてもらって以来言葉を交わしていない。
今月に入ってからは、顔を見かけたことすらない。
どこから沖田さんの名前が出てきたのだろうと頭では思うのに、心臓は早鐘を打ち始め、息が乱れ、耳鳴りがしだし・・・私の体は明らかに変調を訴えている。
「さくらはん?」
「わたしっ・・・わたし、寝言で言ったんですか?沖田さんって言いましたかっ?」
詰め寄ると、秋斉さんは眉を顰(ひそめ)て頷いた。
「悲鳴だけの時もあるけども、何度か沖田はんを呼んでましたえ」
震えが止まらない。
歯の根が合わない。
何故、思い返さなかったのだろう。
夢の中の人物が繰り返していた乾いた咳。
あれは、沖田さんが以前していた咳にそっくりだったのに。
「ちょっと、さくらはん・・・青い顔してどないしたんや。とりあえず、座りよし」
肩を抱くようにして室内へと導かれ、私は促されるままに座布団へ腰を落とした。
水を汲んでくる、と着物の裾を翻して出ていく秋斉さんに、お礼を言うことすらできず、カチカチと鳴る歯を止めようと唇を噛みしめる。
きつく目を閉じれば、瞼の裏に、耳の奥に、蘇ってくる悪夢。
いや、悪夢ではない。
『記憶』、だ。
セーラー服を着て、教室の中、席について文庫本を読む少女。
話しかけた私に、その本の内容を説明してくれた彼女は、中学時代の私の親友。
読書が好きで、歴史が好きで、とりわけ幕末の時代を彩った英雄たちを好んだあの子。
坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎・・・そして、新選組。
―――新選組の沖田総司はね、すごく強かったんだけどね
遠い、歴史上の人物の話。
当時の私には、小説やドラマの主人公でしかなかった人たち。
けれど、今は違う。
彼らは現実に存在した人間で、今、私は、彼らと同じ空気を吸って、同じ空の下で生活をしている。
―――結核になって、死んじゃったんだ
まるで友人の死を悼むかのように眉を下げた彼女の、小さな声がハッキリと蘇る。
聞くまいと、思いだすまいとしていた『記憶』を突きつけられて、私は声にならない悲鳴を飲み込んだ。
沖田総司は病気で死ぬ―――取り戻してしまった記憶に煽られて、芋づる式に色んなものが脳裏に浮かびかけ、必死に頭を振る。
嫌だ。
思いだしたくない、知りたくない。
動揺を必死に抑え今できることは何かと考えを巡らせた。
ふと、抱えていた反物にシワをつけていることに気づき、深呼吸して指の力を緩める。
行李から風呂敷を取り出して反物を包み、額に浮いた脂汗を手拭いで拭った。
「ちょっと、さくらはん、休んどきよし。仕立てに出すのは急がへんさかい」
湯呑に水を汲んで持ってきてくれた秋斉さんに見咎められたけど、平気ですと微笑んで見せた。
受け取った湯呑の水を一気に飲み干す私に、秋斉さんの物問いた気な視線が注がれる。
彼にありのままを打ち明けることはできない。
それでも、秋斉さんが心配してくれているのがひしひしと伝わってきたから、何か言わねばと口を開いた。
「沖田さんが・・・・・・」
「へぇ」
「病気になる夢を見たんです・・・・・・」
「・・・・・・」
嘘ではないものの、真実のほんの一部を掠めただけの私の言葉に、秋斉さんが手にした扇子をゆらゆらさせる。
私を見据える秋斉さんの双眸には、さまざまな感情が揺らめいているようで、それでいてどれ一つとして確たるものを伝えないまま伏せられた。
「そら、心配どすな。明け方の夢は正夢になりやすい言いますさかい」
沖田さんに会って、お医者にかかるように伝えたい。
労咳はこの時代では不治の病だけど、なるべく早くお医者に見せて指示を仰げば悪化は防げるかもしれない。
そう思い、お使いの後、壬生に寄ってきてもいいですかと尋ねた私に、秋斉さんは頷いてくれた。
「途中でしんどなったら、茶店でもなんでもええさかい休みよし。無理したらあかんえ」
きっと、秋斉さんは私の言った言葉に納得していない。
それでも問い詰めることなく、ただ体を気遣ってくれる優しさに、感謝と共に後ろ暗い気持ちでいっぱいになる。
秋斉さんの顔をまともに見られないままにお礼を述べ、私は風呂敷を抱えて、逃げ出すように置屋を後にした。