翌日、夜。
仲居頭に頼まれて、角屋へ久しぶりに手伝いに入ることになった。
二階の座敷を一つを任されたため、銚子と杯、幾種類かの酒肴をお盆にのせて、箱階段を上る。
春の陽気に誘われてか、数あるお座敷はどこも満室で、にぎやかな三味線や謡、楽しげな笑い声が響いていた。
戦が起こるという噂に煽られる不安を忘れたいお客と、お客を一夜の夢へと誘う遊女や芸子。双方の思惑が絡み合って、揚屋の夜を彩っていく。
けれど、指定された座敷だけはひっそりと静まり返っていた。
「お酒を、お持ちしました」
廊下から声をかけ、そっと開いた襖の向こう、その座敷には遊女も芸子も幇間(ほうかん)もおらず。
入口と相対して座していたお侍が、畳に手をつき、深く頭を下げていた。
綺麗な月代、と場違いなことを思う。
明るいところて見たら、きっと青々しているんだろうな。
「さくらか。待ちかねた」
床の間の前、上座から聞き覚えのある声がかかる。
視線をやった先にいたのは、個性も豊かな紅鳶の着物に、短く切ったというよりは、伸ばしている途中といった体の奔放な短髪、不敵な笑いを浮かべた人物―――そう、三谷和助さんだった。
「こっちへきて、酌をしてくれ」
どこまでも神出鬼没な彼に驚きを隠せず、土下座したままのもう一人の人物にも気を取られながら、私は促されるままにお酌をした。
「おい、市。黙って頭を下げていても、さくらには何の事だかわからんぞ」
「は・・・・・・」
三谷さんに声をかけられ、ゆるゆると頭をあげるお侍。
その顔を目にして、私は鋭く息をのんだ。
「あなたっ、」
「昨日は、申し訳ないことを致した。疾しいことをしている覚えがあった故に、咄嗟に刀を抜いてしまった」
そう言って、再度深々と頭を下げたその人は、ここ数日私を尾行し、それを見咎めた山崎さんに斬りかかった若侍に他ならなかった。
「謝罪の為に私を、ここへ?」
「それもある。だが、一番の目的は、お前と話をしたかったからだ」
最早彼の基本フェイスとして私に擦りこまれているにやり笑いを浮かべ、三谷さんは私にもお酒を飲むよう促した。
「なに、そう固くならずとも、、二、三、質問に答えてくれればよい」
「はあ・・・・・・」
わざわざ置屋まで顔を見に来たり、後を付け回してみたり、座敷に呼んでみたり、この人たちはなんだって私にそう執着するのだろう。
「お前に、聞きたい。戦に一番必要なのはなんだと思う?」
また唐突な質問だなと思いつつ、私は注がれたお酒で、唇を湿らせた。
「お金、でしょう?」
「ほう。それでは、今、幕府はその金がなくて困っている。原因はなんだと思う」
そんなこと知らないよーーっ。
なんだろう。国の財政危機の原因。
税収が上がらないとか、貿易がうまくいってないとか、色々あるのだろうけど。
江戸幕府の場合は。
「うーん・・・色々な要因があるんでしょうけど、無産階級が多すぎるから、とか」
「むさん、とは」
三谷さんが、俄然興味を持ったように、身を乗り出してくる。
視界の端に捉えている「いち」と呼ばれた青年もまた、私の話に耳を傾けているようだ。
「えっと・・・。農民は、お米をつくりますよね。職人は、各種工芸品を。商人はそれを流通させる。でも、武士は、生産には携わらない。消費するだけです。戦時ならともかく、そうでない時に抱える軍隊にしては数が多すぎるのでは?」
「・・・・・・」
すっと部屋の空気が固まった気がして、口を噤んだ。
まずい、まずい。
武士を二人前にして、その存在を批判するようなことを言ってしまった。
「懸念は無用。ここは島原。花街の座敷で起きたことは、この中でだけのことだ。言いたいことを言え。忌憚のない意見を聞きたい」
「・・・その前に、お二人が何者なのかお聞きしたいです」
よく知らない人間に、思ったままの事を話してしまった自分の迂闊さに臍(ほぞ)を噛む。
自分だけのことならいい。けれど、藍屋で預かられている立場上、私の言動は秋斉さんにも迷惑を及ぼすかも知れないのに。
「俺たちは、長州は毛利家家中の者だ。故に、幕政批判を聞いたところで珍しくもない。存分に話せ」
「長州・・・?長州の人は今、京に入ってはいけないんじゃないんですか」
去年の八月、会津と薩摩が組んで起こしたクーデターにより、長州人は京を追われ、一部の留守居役以外は都への出入りを禁じられたと聞いている。
「繰り返すが、ここは花街だ。俺たちがそうするように、お前にも、ここでの話はここでだけのものにしてもらいたい」
口調は柔らかいものの、三谷さんの眼光は、反駁を許さない苛烈なもので。
以前秋斉さんが懸念していたように、どうやら私は、酷く厄介なことに巻き込まれつつあるらしいと、自覚せざるを得なかった。