その夜遅く、小糠雨の中を帰ってきた秋斉さんは、私から、三谷さんの来訪を伝え聞くと、眉根を寄せて眼を閉じ、深々とため息をついた。
「上洛してはるとは聞いてたけども」
いつもきっちりとしている彼らしくなく、文机に片肘をついて目を閉じたまま独りごちる秋斉さんは、今にもそのまま眠ってしまうのではないかと思えるほどに、疲れきって見える。
「大丈夫ですか?肩でも揉みましょうか」
申し出てみるも、気を使うなと微笑まれ、「三谷はんには、おかしなことをされしまへんどしたか」
―――鋭いというか、さもありなんというか。
三谷さんという人のイメージを更に強固にする秋斉さんの質問に、顔をしかめてしまう。
「なんや、されたんかいな」
「いやあ・・・・・・」
改めて問われると、返事に困る。
抱きしめられたわけでなし、キスされたわけでなし、わざわざ秋斉さんに訴えるほどのことでもない。
曖昧な私の反応に、「ふうん」と疑わしげな視線を寄越し、秋斉さんはお茶を一口啜った。
「まあ、黙ってされるがままにならしまへんわな、あんさんは。あん人も、嫌がる女子に手を出すほど不如意でもおへんやろし」
長い指で湯呑の肌をなぞりながら、私に言うともなく言葉をつなげる。
いつも涼やかなその目元が、時おり重たげに閉じられるのに気づき、私は立ち上がって、枕屏風の向こうに畳んである夜具へと手をかけた。
「さくらはん?」
「ごめんなさい、お疲れなのに気がきかなくて。お布団敷きますからもう休んでください」
夜具を延べかけたところへ、秋斉さんの深い深いため息が降りかかる。
なにごとかと視線をやれば、秋斉さんは頭痛を堪えるように眉間に手を添えて、もう片方の手でこめかみをぐりぐりと揉んでいた。
これは相当お疲れだ。
早く休ませてあげなければと、私は、夜具の用意を再開しようしたのだけれど。
「さくらはん。ちょっと座りぃ」
閉じた扇子で招かれて、再び目の前で正座をさせられた。
さっきまで疲れた様子で緩んでいた秋斉さんの背筋が、ぴんっと伸び、細い眉は苛立たし気に寄せられている。
これは・・・この見慣れた状態は・・・・・・。
「あんさんな、どないなつもりか知りまへんけども、こない夜更けに男の部屋きて布団を敷くなぞ、ちぃっと弁えがなさすぎますえ」
始まった、お小言・・・・・・。
「そんなことやから、原田はんやら三谷はんのような輩に目ぇつけられますんや。まったく、土方はんもお気の毒に。気が気やあらしまへんやろな。男や女やわからんような恰好や言動が多いと言うても、あんさんはれっきとした女子なんやから、もすこし気ぃつけなはれ」
疲れ切っていたはずの秋斉さんだけど、お小言スイッチがオンになってしまった。
こうなったら、しばらく止まらない。
ただただ、頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待たなければ。
四半刻ほど大人しく聞き入っていると、気が済んだのか、「わかればよろしい」と赦免の言葉を頂いた。
もう何度口にしたかわからない、「以後気をつけます」の言葉と共に頭を下げて、部屋を辞すことにする。
「あ、それから」
お作法通り、跪座の姿勢で障子を開けかけた私の半身に声がかかって。
まだ言い足りないかと、恐る恐る窺えば、より真剣さを増した秋斉さんの視線に射抜かれた。
「三谷はんのこと、土方はんやら新選組には言わんように」
「え・・・・・・」
「三谷はんのことに限らん。島原の中で起こったこと聞いたこと、外の人に漏らしたらあかんえ。それがココの流儀やさかいにな」
ついでのように言われた言葉だった。
けれど、秋斉さんが一番言いたかったのはそのことだった気がして。
「頼むさかい、わての眼ぇの届かんとこで厄介事に巻き込まれんように・・・・・・」
返事をすることも忘れて、疲労の色濃い秋斉さんに見入った私の耳に、彼の漏らした微かな呟きが、悲しいくらい優しく響いた。
第九十三話に続く