昭和30年の萩山 | kanekosamのブログ

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わたしたちは昭和30年に佐渡から東京にでてきた。

萩山町には西武新宿線久米川駅と小平駅があった。

多摩湖線の萩山駅と八坂駅もあった。

久米川-萩山-八坂は1kmの三角形。

西武新宿線と中央本線へのアクセスがよかった。

当時は今で言う西武都市開発の開発が先行した。

70坪、100坪割の住宅地だった。

ほかには都営住宅があって平屋2戸1の団地だった。

今で言うミニ開発はまだなかった。

水道道路、野火止用水、小平霊園に囲まれていた。

御茶ノ水女子大郊外園、工業技術院の研究所もあった。

大きな敷地割の住宅地ができた。

今ご近所を歩くと梅の花にあちこちで出会う。

これは60年前のまちづくりの遺産である。

今の120㎡割の住宅地には梅の木はない。

随分気の長い話で因果関係も殆ど辿れない。

春風に吹かれてふわふわ歩き回っているだけである。