時にはステーキガストにでも行って、思い切り食べてみたいものですね。サラダバーを。私の場合はあまり肉を食べたいという思いにはとらわれません。

 「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持もたない人がいるなら、その人はキリストのものではない。もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである」(ローマ人への手紙8:6〜10)

 聖書のニュアンスとは違ってましたか。野菜と肉のことではなく、霊と肉の話ですね。『原理講論』には次のように書かれています。

 「堕落人間が、肉的な命に強い未練をもつようになったのは、人間が元来、肉身を脱いだあとには、地上よりも一層美しく、かつ永遠なる無形世界に行って、永遠に生きるように創造されているという事実が、堕落によって分からなくなったからである」。



 拉致監禁され、キリスト教牧師から棄教説得を受け、自殺した人がいると聞きました。自分が信じたものを捨てるということは、肉体の命を失うことよりも恐ろしいことだと、同様の体験をした人が語っています。クリスチャンであればよく理解できるのではないかと思います。

 許し難いことですが、「罪を憎んで人を憎まず」です。こんな時に食べるのは「肉まん」でしょうか。



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