30年前(1994年)に、20世紀最大の悲劇と言われる「ルワンダ大量虐殺」が起こり、多くの難民を生み出したアフリカの国をご存じでしょうか。

 100万人もの虐殺という悲しい歴史を歩んだルワンダですが、1990年代から時間が流れたことで国の状況は大きく変化しました。「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどルワンダは経済的に発展し、特に情報通信技術と農業を成長させてきました。首都キガリはアフリカで2番目に多くの国際会議を開催するきれいな街になっています。



 経済発展に伴い国の荒んだ状況が改善し、ルワンダ国外に長期間避難していた難民が帰還するケースも見られるようになっています。とはいえ、内戦後において「女性人口が全体の7割を占め、女性たちの教育、自立なくしては国の発展はない」と大統領に言わしめるほど、深刻な打撃を受けた一部地域では、いまだ未発展で貧困にあえぐ土地もあります。そのようなルワンダの貧困地域は、食料不足や子どもの教育環境不足などが課題とされています。

 「日本ユニセフ協会」「難民を助ける会(AAR)」「ワールド・ビジョン・ジャパン」「UNHCR協会」など、ルワンダの難民支援をする団体はいくつかあります。そんな中で、現地に密着して、長期間支援を続けてきたのが世界平和女性連合(WFWP)です。

 1996年当初は日本からの女性派遣員が、足踏みミシン10台で20人の女性たちに教えるところから洋裁教室を開始。足し算ができなかったり、はさみが使えなかったりする生徒たちに頭を悩ませ、教室から物がなくなることに心を痛めることもありました。

 WFWP Japanが運営する「ニューホープ技術専門学校」は1998年に完成し、大統領夫人から「ルワンダの財産」と称えられました。その卒業生は、それぞれ学んだ分野で活躍し、学校もルワンダにおいて広く認知されるようになりました。

 しかし、一方で平均就職率が40%という課題があることから、2019年より即戦力となる人材育成と実習費の経済的負担軽減を目的とした「学外実習センター」の建設に着手。2023年に完成しました。

 ニューホープ技術専門学校(洋裁コース)卒業生の1人は、首都キガリ市/マソロの縫製会社に就職。地方に住んでいた両親や兄弟をキガリに呼んで一緒に生活できるようになりました。勉強したスキルで得たお金で健康保険を支払い、十分な食料も得ることができ、洋服を買って着飾ることも、必要なものは手に入れることができるようになりました。

 「この学校の技術指導に助けられた人は私だけではなく、他にもいると思います。私たちのような何もない少女たちに学ぶチャンスを与えてくれ、プロフェッショナルとして育ててくれた日本、韓国、ルワンダの世界平和女性連合のファミリーの皆さんに心から感謝します。」

 落成式では自信にあふれた表情で感謝のスピーチを語りました。



 落成式当日は、ルワンダ派遣員の誕生日。WFWPインターナショナル会長とルワンダ会長が花束と感謝の言葉を贈りました。

 「彼女なしには、今日の落成式を迎えることはできませんでした。25年以上にわたるルワンダへの献身に、これ以上の感謝の言葉が見つかりません」。

 共にルワンダの発展のために尽力してきた派遣員と元駐日ルワンダ大使が共にケーキカットを行い、参加者から大きな拍手が送られました。



 もともとルワンダはコンゴやブルンジなどの近隣国から難民を受け入れてきた国でもあります。内戦によって自らも難民を大量に生み出すという悲劇に見舞われましたが、「情けは人の為ならず」。ガルガルだった状況から一転ワンダフルに……。ルワンダの復興を助けたWFWP Japanの女性派遣員たちによる現地での献身的な歩みは、まるでプリキュアのような活躍ですね。敬意を評したいところです。



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