目に見えない高速道路が現れる! 嘘をついては困ります。現れないのが透明高速道路です。消えますよ。消えますよ。消えます✕4。

 5月26日は「東名高速道路全通記念日」。ピンクレディーの「透明人間」風に始めてみました。高速道路の建設現場で古代の道路遺構が発見されることがあります。奈良時代以前の古代官道はおおむね道幅12メートル以上で直線的。まさに現代の高速道路に匹敵するようなインフラであったといいます。
 実際に、古代駅路と高速道路の設定ルートや、駅家(うまや)とインターチェンジの設定位置が、ほぼ同一となっている事例も多く見られます。全長6300キロに及ぶルートには、全国におよそ400の駅家が設けられ、迅速に都との交通や通信の連絡に当たりました。
 律令時代からの七道の中でも最も重視されたのが山陽道であり、駅路では唯一の大路でした。次いで中路は東海道と東山道の2つです。西海道以外では道単位での行政機関は常置されませんでした。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄したとの説明ですが、元々九州に全ての道の起点があったからなのではないでしょうか。

 古代官道はコスパ最悪。広くて直線的な道を維持管理して、30里(約16キロ)ごとに駅(駅家)を置き、駅ごとに駅馬を常備しなければなりません。駅周辺には往来する人馬の休息・宿泊施設を置き、駅鈴を持っている官人や公文書を伝達する駅使が到着すると、乗り継ぎの駅馬や案内の駅子を提供したりします。

 一定の距離ごとにパーキングエリアを配した、まさに現代の高速道路と大差ないですね。高速道路料金などの収益がなければ維持管理は大変です。古代官道は10世紀頃には廃れたとされます。透明人間よろしく「消えます……」の運命をたどったのでしょう。

 詩人・高村光太郎は「僕の後ろに道は出来る」(『道程』)と言いましたが、現代人が高速道路を造るずっと前から、三浦綾子さんの『道ありき』だったのですね。古代人の技術力恐るべし。


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