「イエスは今や万事が終ったことを知って、『わたしは、かわく』と言われた」(ヨハネ福音書19:28)。1月28日は「衣類乾燥機の日」です。乾燥して「かわく」と個人的な感想を漏らしたのでしょうか。それともイエス様の言葉には何か深い意味が込められていたのでしょうか。

 そもそも、なぜイエス様は十字架で処刑されなければならなかったのでしょうか。聖書最大の謎でもあります。ピラトは「この男になんの犯罪も見出せない」と何度も大祭司たちを説得し、イエスを釈放しようとしましたが、群衆の「イエスを磔にせよ!」「十字架にかけよ!」と言う執拗な叫びたてによって、彼らの声が打ち勝つようになったのです。



 マルコによる福音書15章11節に「祭司長たちは、……群衆を扇動した」とあります。また、10節に「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのため」であったと記します。

 東日本大震災では地震と津波による被害は甚大なものでした。それでも被災地における略奪・強盗などはほとんど見られず、日本人のモラルの高さに世界が驚いたといいます。

 その一方で、福島県民は原発事故関連の風評被害に長く悩まされたと聞きます。処理水放出をめぐって、日本共産党や中国などの根拠なき「汚染水」発言で、再び炎上するかと危惧されましたが、割合早く沈静化しました。

 なぜ今回は風評被害が拡大しなかったかについて、加藤文宏氏は「新春公開シンポジウム」で、その理由を説明しています。

 


 「エビデンスベースのことを言い続けること」という加藤氏の発言からは根拠を示すことの大切さを教えられました。本来、マスコミは正確で偏りのない公正な情報発信が求められています。にも関わらず、明確な定義や科学的な根拠が示されることなく、時には偏った情報源に頼って真実性の検証もなされないまま、報道が先走ることがよくあります。

 


 マタイ福音書5章6節に「義に飢えかわいている人ひとたちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう」とあります。マスコミの報道1つで、それまでの生活が一変したような人もいます。それだけにマスコミはその影響力を自覚し、人権に十分配慮しつつ、しっかりとした根拠をもとに、過熱報道に気をつけるべきでしょう。

 イエス様は人生の最後に「わたしは、かわく」と語られました。彼もまた、義に飢え渇く者だったのでしょうか。マタイ福音書5章10節では「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」とも書かれています。



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