「君が涙のときには僕はポプラの枝になる」――中島みゆき『空と君のあいだに』の冒頭。かっこいい言葉だと思っていたら、「孤独な人につけこむようなことは言えなくて」と歌詞が続く。このことから、女性の気を惹くための偽善な言葉を言うことへのためらいを感じさせる。

 その一方で、「君の心がわかる、とたやすく誓える男になぜ女はついていくのだろう。そして泣くのだろう」と自分を動機として優しい言葉をかけているのが見え見えなのに、どうしてだまされてしまうのか、との嘆きをも感じさせる。この演歌調の悲哀こそ、中島みゆきの真骨頂なのかもしれない。

 人はとかく、少しでも自分の立場をよくするための言葉を語りがちである。また、虚しくうわべをつくろう言動に走りやすい。人に優しい言葉をかける動機も、自分に気を引き信頼を得るためだったりする。

 「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての苦労は、その身になんの益があるか」(伝道の書1:2〜3)

 「空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る」ように、天の父母なる神様の無条件の愛と地上人が自己を動機とする苦労との間には大きな隔たりがある。

 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日が来たり、年が寄って『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」(伝道の書12:1)



青空と夕空、どちらに惹かれる?


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