2023年7月8日(土)より放送開始になったTVアニメ『てんぷる』。代々女好きの家系に生まれた主人公・赤神明光は煩悩を断ち切るために出家する。ところが、叔父の紹介で入った三日月寺は複数の女子たちが暮らしている男子禁制の尼寺(にじ)だった。

 いくら血のにじむような修行を積んだとしても、煩悩は簡単に消せるものではない。そもそも仏教は罪の根源を明らかにできていないのだ。

 今まで人間の中に深く根を下ろし、休むことなく人間を罪悪の道に追いこんできた罪の根がいったい何であるか、この問題を知る者は一人もいなかった。ただキリスト教信徒のみが、聖書を根拠として、人間始祖アダムとエバが善悪を知る木の果を取って食べ、それが罪の根となったということを漠然と信じてきたのである。しかし、善悪を知る木の果が、文字どおり木の果実であると信ずる信徒たちと、聖書の多くの部分がそうであるように、これもまた、あるものに対する象徴、あるいは比喩に違いないと信ずる信徒たちとが、互いにその意見を異にし、それぞれに様々な解釈をしているだけで、今もってなお、これに対する完全な解明がなされていないというのが実情である。(『原理講論』第二章堕落論 第一節罪の根)

 人類始祖の堕落により、義人ノアの時代には地は暴虐で満たされていた。神は「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」(創世記6章13節)と言われたとおり、洪水審判をされた。しかしその後、神はすべての生き物との間に契約の虹を置かれた。



 「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる」。(創世記9章11~13節)

 8月26日は「レインボーブリッジの日」。神と人間とをつなぐ虹の架け橋は2次元の話ではない。法華経方便品第二の冒頭にも「爾時世尊(にじせそん) 従三昧(じゅうさんまい) 安詳而起(あんじょうにき)」とある。「爾時(にじ)」とは「その時」。その時、世尊は正念にして思慮深く、その三昧(瞑想)より立ち上がったというのである。



 「この橋渡るべからず」と言われても、虹の橋が現れた時、我々も思慮深く立ち上がって、真中を通って行こうではないか。

 


高いところは好き?嫌い?

いえ、安いところが好きです。

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