タロとジロとリキ。頭文字をつなげると「田尻(たじり)」になる。実を言うと父の旧姓が田尻である。父が長崎の造船所の就職内定を蹴ったという話を以前書いた。もしかしたら南極観測船「宗谷」を建造した会社だったのではないだろうかと推測したりする。

 1月14日は「タロとジロの日」。1959年(昭和34年)のこの日、前年に南極の昭和基地に置き去りにされたカラフト犬、タロとジロの生存が確認された日である。

 この出来事は映画『南極物語』にもなり、再会シーンが感動的に描かれている。ところが実際はかけ寄って来るどころか、そっぽを向かれたとか。第一次南極観測隊犬ぞり用樺太犬「タロ、ジロ」の世話係を担当した九州大学名誉教授の北村泰一先生の話である。



 基地に残された15頭のうち、鎖につながれたまま死んでいたのは7頭、行方不明は6頭。無人の昭和基地で、タロとジロは何を食べて生き延びたのか? 基地にあった犬のエサには手がつけられていなかったそうだ。

 タロとジロの生還から9年後の1968年、昭和基地のそばの解けた雪の中から、1匹の樺太犬の死骸が見つかった。灰色で短毛。特徴から、行方不明6匹のうち「リキ」と思われた。第1次越冬中、幼かったタロとジロに自分の餌を与え、実の親のように片時も離れず2匹の面倒を見ていたという。

 「リキは鎖から逃れた他の5匹の犬と同様、どこにでも行けた。しかし自力では食料を得られそうにない幼いタロとジロを見捨てて逃げることができず、一緒に基地に残ったのではないか」(2018/10/13付 西日本新聞夕刊)

 リキの確認から半世紀以上が過ぎた。北村さんは「タロとジロのことは多くの人が知っているが、リキのことを知る人は少ない。リキも同じように極寒の昭和基地近くで必死に頑張って生きようとしたことを、多くの人に知ってほしい」と語っている。



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