ひまそらあかね氏の今後を、過去、現在、未来と3枚のカードを引いて占ってみました。
小アルカナを含めた78枚を使いましたが、出てきた3枚はすべて大アルカナカード。
今回の出馬が氏にとっていかに大きな出来事か、まさに人生の岐路に立たされているということがわかります。
一枚目、過去のカードは【悪魔】
このカードは、あるがままの事実を受け入れ、体験する能力と、そこからやってくる明晰さと洞察を象徴しています。思考と感情に邪魔されないで、純粋に体験するということです。
このカードに描かれているのは、官能とユーモアのギリシアの神パン(牧羊神)です。中世において、道徳主義的な価値判断をもったキリスト教会が西洋社会を支配し始め、肉体の歓びやその他の地上的な快楽という質は非難されるようになりました。そのため、こうした快楽のシンボルであるパンは、善なる神に対する闇の力である悪魔と結び付けられるようになったのです。
彼の大きく開いた第三の目は、身体にいることが教える現実を受け入れた時にやってくる、内的なクリアな視力を表しています。ほくそ笑んだ口元は、この受容からやってくるユーモアを表しています。
これはいかにも、ひまそら氏らしいカードだと感じます。
ひまそら氏に見えている世界は、他の大多数の人々が見ているものとは、ずいぶん違うのだと思います。
氏の並外れた直観は、額に大きく開かれたサードアイ(第三の目)からくるのでしょう。
彼の目には、物事の本質がはっきりと見えているのだと思います。それは天性のものでもあり、さらに彼の壮絶な体験(2千万円の借金をかかえながらも、3億円の和解金を蹴る。などという💦)の賜物でもあると思います。
多くのフォロワーをかかえながら、彼と同じ世界を見ている者はほとんどいないという孤独。それを彼一流のユーモアで笑いに変えながら、これまで闘ってきてくれたのだと思いました。
二枚目、現在のカードは【調停】
このカードの人物は、真実と正義のエジプトの女神マートであり、死んだばかりの人々のハートにある真実を審判するという責任を持っています。
カード全体が、微妙なバランスを保つという行為を物語っており、真の正義が、正しい・間違っている、という二元的な思考とは無関係だということを表しています。実際、意見や思考が一つでもあれば、バランスはすっかり失われてしまうでしょう。仮面をかぶっているのは、非人間的な質と、注意が内側に向かっていることを表しています。二元性を超えた、このとてつもなく微妙なバランスのために、マインドの静けさと、ハイヤーセルフとのつながりを保つ必要があるのです。
闇と光の中で、彼女は完ぺきなバランスを保っています。
東京都知事に立候補したひまそら氏は、今現在、あらゆるメディアにとっての「踏み絵」となっています。
いわゆる“首輪つき”には、氏があきらかにした公金チューチュー問題に触れることができません。
多くの日本人が真面目に働いて税金を納めているにもかかわらず、国が貧しくなり、国力が落ちているのはなぜなのか?血税は本当に私たちの暮らしをよくするために、公正に、公平に使われているのか?
そんな疑問に答えてくれる唯一の候補、ひまそら氏。正義の女神が出てきてくれたのは、ぴったりですね
そして三枚目、未来を表すカードは【太陽】の逆位置
私は普段、逆位置をとらないのですが、今回はあえて逆位置をとることにします。
このカードは関係性を通して、私たち自身の異なる部分を照らし出し、表現するプロセスを象徴しています。
人間関係は私たちにとって、自分が認めていない隠れた自分の一部を認め、抱きしめる方法を学ぶ主な道です。
他者との結びつきという鏡をのぞき込み、それを通して学ぶのです。真の形で人と和合するとき、意識と創造性に拡大が起こります。
一般的に太陽のカードが出れば、成功、繁栄、解放、大勝利と読むのですが、逆位置なので、その勝利は80パーセントほどになるのかもしれません。午後3時の太陽と読むというテキストもありました。ということは・・・いえいえ今は、言及するのはやめておきましょう。
少なくても、選挙後にひまそら氏が逮捕されることや、その身に危険が及ぶことはないでしょう。よかった~
ひまそら氏と対談した人々は、自らの隠れた本質を引き出され、自滅していったように見えました。
ひまそら氏の正義は、自己の悪魔性を自覚し受け入れた上のもので、善悪の判断を超えたバランスの中にあります。一方対談者は、我こそは正義と主張し、それを認めさせようとやっきになっていたように思えます。
対峙するものの本質を暴き出す、鏡のような存在がひまそら氏なのかもしれません。
ひまそらあかね、という人になぜこんなに惹かれるのか、
それは、だれもが彼の厳しい生き方を通して学び、なんらかの気づきを得て、自身の成長を実感できるからかもしれませんね。