怒りのコントロールができないよ~ガーン と、頭をかかえながら開いたページがこれだったひらめき電球



怒っても自分を制御できる人間は、人生最初のレッスン、あるいは法則を学び始めているのである。人の言ったことに憤りながらも、自分を制御できる人は、その気持ちにさせた言葉を嫌悪しながらも、相手の魂を愛することができる。これは忍耐であり、愛であり、希望であり、柔和であり、心の清さを表わす。心の柔和なる者は地を嗣(つ)がん、心の清き者は神を見る、と主は言われてはいないか。これは常に変わらぬ聖約である。あなたが神を信じるならば、“怒って罪を犯さず”とは、あなた自身に対する約束事であると知れ。――ケイシーリーディング(262‐25)1932,7/24

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これは第2章「星々に秘められた法則」の火星についての記述です。他にも火星について、

火星からは怒りを発しやすくなる傾向がみられる。だが怒りは制御すれば、正しい感情である。怒りの中には力さえある。怒っても罪を犯さぬ者は自分を制御できている人間である。怒って自分をつまらぬ者にし、どんな面でも自己満足に陥る人間は、怒りそのものの力を帯びた人生を引き寄せる。(361‐4)

火星からは有益な力も来ている。このため口論し合い、争い合い、怒り合っている人たちに、この人自身の培っている精神的態度から有益な影響を与えられるときがしばしばある。(1037-1)

火星について見ると、その人の生活の中に、怒りや敵意、貪欲などの破壊的活動に向かう力が生じている。だが、事前にそのことに気づき、今まで述べてきたことを生活に活かせば、人々に対する考え方や行動を、この物質界で目的と理想に向かって進歩発展していく際の障害物ではなく、踏み台に変えられる。(1797-1)

火星は人を憎む力も愛する力も表示している。(2902-1)

などの興味深いリーディングが紹介されています。

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次にパラパラとめくって目にとまったのが「木星」について。

木星の中にわれわれは普遍意識と真面目さをみる。くそ真面目と言われるかもしれないが、その人は真の真面目さからしか生まれない、理解と平和を手にできる。
だがこのようなあなたの得るかもしれない真理は、人生の愉快な面を表現することを通して、開発していかなけらばならない。その人は愉快なこと、愉快な人にほとんど注意を払わない傾向がある。人生の暗い面ではなく、真理を見つめるようにせよ。イエス・キリストでさえ、最後を迎える時に、自分の苦しみを明るくとらえ、今の人々に深い感動を呼ぶものを表現された。(2571-1)

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イエス・キリストについて。

被造物の中においては、あらゆる力が互いに相関関係にある。そして、地球の場合、それは肉なのである。幾百とも知れぬ時の流れの中で、世界から世界へと連綿と続く発達を通じて、魂は己自身を探し続け、己の存在を勝ち取っていく。われわれはイエスとその昔呼ばれた魂にその実例を見る。
地球世界に初めてたどり着いた時に、その魂は肉におけるひな型となった。地球で知られているところの天体、あるいは惑星群における発達を通して“合一”を獲得し、ここまでに至ったのである。

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イエスと呼ばれたこの魂は、さまざまな発達の段階のすべてを通過して、創造主なる父と合一したのである。知性においても、激怒においても、肉においても、愛においても、死においても、霊力においても、秘力においても、意識において完成され、より大いなる支配力において完成された。
そのようにして、人類にとってモデルとなり、こうした法則への従属を通して完成された。運命も天命も、先見力も意志力も、完全なものとなり、完全無欠の状態を実現した。彼は人にとって、人としてのひな型である。人として生き、人として死んだ。(900-10)

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利己心でもなく、憎しみでもなく、怒りでもなく、創造力、神から引き離すどんなものによってでもない、簡素さと優しさ、謙(へりくだ)りと信仰、絶えざる辛抱と忍耐こそが、人の中で活動する魂の固有の性質である。それは人に見られるためのものではない。父が御子を通して表され、毎日地上に表されている愛を、あなた方が身に表すためのものである。(518-2)




※日本エドガー・ケイシーセンターhttp://www.eccj.ne.jp/