「黎明」~葦原瑞穂~より | 自分に還る。

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読んだ本の感想など。

10年以上も昔、精神世界の情報に飢えていた頃に出逢い、むさぼるように読んだ本です。

長いこと本棚の奥に鎮座ましましており、そこにあるだけで安心を与えてくれていましたが、
先日ふと手に取ってみたくなり、パラパラとページをめくりました。



「黎明」~葦原瑞穂~ 下巻二十二章「日常の生活」より

意識がある程度進化してくると、人間は地上的な出来事の中には本当の幸せが存在していない
ことに気づくようになり、手探りで解脱の方向を探し求めるようになります。

こうした必要に答えるための適切な、あるいは注意を要する、もしくは全くデタラメなガイドが
世の中には色々と存在していますが、山の頂上は一つしかなくてもすそ野は広いように、頂上
に至る道は人の数だけあって、他人のやり方は参考にはなりますが、人の真似をしても決して
解脱に到ることは無いという基本をきちんと踏まえておかなければなりません。

よく未熟な指導者は、自分がある程度の意識に到達することができたやり方を、そのまま
弟子にも強要しようとしますが、人間にはそれぞれ意識の発達状態も幽体の波動も違い、
得意とすることや不得手なことも皆異なるわけですから、弟子が指導者のいいなりになった
場合、多くのエネルギーと人生の貴重な時間を無駄にしてしまうこともしばしばあるのです。

解脱に至るためにはオリジナリティーということが非常に大切であり、誰のものでもない
その人自身の表現こそが、普遍意識の展開となるのです。
神が地上に多くの人間を創造されたのは、それぞれの人に異なった役割をしてもらう為で
同じ表現を二度する必要は、まったくないということをよく理解していただきたいと思います。

それでは自分自身の表現とはいったいなんでしょうか。
霊的な問題に関心を持ち始めた人は、聖地と呼ばれる場所を訪ねたり、適切もしくは無謀な
行法を試みたり、世間から離れて山に籠ったり、本物かどうかはさておいて、縁のあった
指導者(グル)に入門したりすることが解脱への近道と考えがちです。

もちろんこのような選択からもそれなりに得るものはありますが、大切なことは、その人の
進化にとって必要かつ充分な状況は、すでに目の前に与えられているのだという事実に
気がつくことなのです。


誰でも自分の周囲を見渡してみると、自分にとっては日常的な、しかし少しずつ変化して
いる環境があります。それは平凡なものであるかもしれませんし、波乱に満ちたものである
かもしれませんが、現にいま、その場所とその仕事、そしてその人間関係の中に自分が存在
しているという事実は、魂が自分の進化のために設定した課題を学ぶために、最もふさわしい
環境を現象化しているのだということを理解していただきたいと思います。

つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事の一つ一つ
をきちんとやっていくことにあるのであって、他に何か特別なものを探したからといって
近道ができるわけではないのです。

きちんとやるというのは、一つ一つの表現を心をこめて丁寧に、しかも確実に為していく
ということで、別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体をもって行うこと
の一切が神の愛の表現になっているという意味になります。

普遍意識は完全なる調和で在る神の愛そのものですから、愛の表現は普遍意識の
展開になるわけです。

芸術活動や地場調整、霊的意識の普及や個人に対するヒーリング等は、それらを
仕事とする人にとっては大きな愛の表現の機会です。

けれども注意していただきたいのは、この地上におけるあらゆる出来事の中で
大いなる愛の表現の機会でないものは、何ひとつとして存在していないという事実です。



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これまで謎に包まれていた著者ですが、なんと今年からセミナーを開催されているようなのです。
『黎明』セミナー
http://reimei.shop-pro.jp/

うーーん、お目にかかれるものなら、どんな方か一目見てみたいという気持ちとうらはらに、
このまま神秘のベールに包まれていてほしいような、複雑な気持ちです。




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