新しい発想の人と政党の出現に期待する。 | 若干蛇足

若干蛇足

世界・国・個人レベルを問わず:嘘・インチキ・騙しに反応します。

「竹原信一という男」さんのブログより

右でも左でもない己


今の社会では、それぞれ個人が多かれ少なかれ大小のグループに属した(意識した)生き方を強いられる。
あるいは、自ずからがそう望んでいる。
地域内にある派閥、企業(職場)の考え方、宗教での線引き、政治的党派・会派のイデオロギーなど、
その時々で、利害が一致したり、対立したり、利用したり、利用されたり、
期待したり、裏切られたりの繰り返しではないだろうか。
小さなグループを率いる者がおり、その郡がいくつも集合したさらに大きなグループにもリーダーが存在し、
複合的ピラミッドができあがっている。
その構図の根底で利用されているのは、大衆の無自覚に近い“我欲”や“依存心”であるだろう。

依存的な希望と、そこから来る絶望の無限ループに嵌りこんでしまうとさらに真実が見えにくくなるものだ。

与党と野党が織りなす政権交代劇であれ、その類だと私は考えている。
それぞれが米国、そしてアジア諸国の影響を受けているが、ともに真の意思決定機関は日本にはない。
外交上テーブルの上で喧々諤々の様相を演じながら、テーブルの下では仲良く足を絡ませている。
あるいは双方の対立をうすら笑いしながら上から眺めている輩が存在するのである。



私が竹原市長に関心が尽きない一番の理由は、
どの派閥にも、どんなイデオロギーにも属さない、依存しない生き方を感じているからである。
右でも左でもないニュートラルな視線で、「己」という人間のあり方や真実をどこまでも追及しようとする姿勢。

今回の独占インタビューの中に、「政治家という意識はないんですよね」とやや困り顔のシーンがある。
ある方面の人からいえば、「自覚がないなら降りろ」というような突っ込みが聞こえてきそうであるが、
これぞ竹原市長の本音であり、真骨頂でもあると感じた。

これまでの常識論では、このような個性がどこまで通用するのか?という疑問や、
政治家には向いていないとする評は、ある意味必然であり、理解もできる。
しかし、混沌とする激動の時代、求められるのはリーダーの質よりも、
覚醒し「己」の感性を研ぎ澄ませ、自立した一人一人の市民の質であると強く感じるのである。

それが非現実だとか、到底困難だとかいうことは、感覚的な問題であり、
“植民地日本”から脱皮できるカギは、逆にそれしかないのかもしれない。

竹原信一という男は、政治家というよりも人間としてそんなメッセージを発しているような気がする。

蛇足
支持母体がない政治家は選挙に勝てない、それを分かっているがゆえに、支援者を募る。地道な地元ヨイショでお茶を濁す。結果は誰もが沈没する事になる。
予算は公務員の給与で消える日本である。ならば、公務員給与を欧米並みの半額にすれば良いだろうが、民主党の支持母体である自治労や官公労がゆえに、諸手当でごまかしている。 欧米では公務員の仕事はNPO法人が8割方をこなしている。外注や外郭と同じ発想なのである。 民主党さんの発想がNPO法人を作る事には熱心だが、本丸の役所の仕事へは関与しないのはどうしてなのか?所詮、人と金と票があるためだ。そんなところに政権交代をしても時間の無駄だ・。政界再編で地に足の着いた政党がでて初めてできる事だ。