超常現象? | kaネとmo観劇日記

kaネとmo観劇日記

年間200本程の観劇。
その感想やらを忘れないように、記しておこうと思います。

久しぶりに書き記して起きたくなったのには理由があるのです。


七夕の未明。

といっても午前零時40分(正確に言えば、30分ちょっと前だった)、母が他界しました。

病院のベッドで、子ども3人で看取りました。

6月26日に医師から「危険な状態」と告げられ、

それから実に11日間、母は頑張りました。

「いつ逝ってもおかしくありません。」

と言う医師や看護師が驚くほどの粘りです。

それはまるで、交代しながら付き添うわたしたち子どもとの時間を作ってくれているようでした。

最後の三日間は3人で病室に詰めていました。

もう身体も動かず意識もなかったのに、

4日深夜に目を開けて、

覗き込む3人を認めて、

両腕を伸ばそうと動かしてくれて…。

声にならない声を振り絞って…。

いい時間でした。

だから、最後の瞬間も、その後も心が乱れることはありませんでした。


薄情なのかもしれませんね。

でも、昨年10月に癌が見つかって以来、

覚悟はできていましたし、

この最後に共に過ごした時間もあって

お別れもできた気がしていたのです。


きっと母は七夕の日を選んだのだと思います。

みんなが忘れたりしない日を。


問題なのは…父のことです。

数年前から認知症の症状が出始め、

もうこの2年くらいはかなり攻撃的で、

恒例だった盆と正月の、子ども3家族の実家泊まりもできなくなっていました。

その進行が…。

転げ落ち方が…。

だいたい昨年末の母の手術当日も、迎えに行くと出かけてしまっていませんでした。

手術にはわたしのみが付き添いました。

このひと月半の入院時には、入院を理解せず連れて帰ろうとしたり、

半年前の手術のことも、母の病気のことも解らないありさま。

ついには母の死も寝ると忘れてしまい、

七夕の日から毎朝、母の死に驚くわけです。

妻を失った衝撃を、

毎朝まっさらな状態で受ける心の痛手はいかばかりか。

想像すると心が締め付けられます。

今は、自宅に祭壇が飾られています。

四十九日の法要をして納骨するまでは、そこに供物を供え、花を飾るのです。

しかし、それもわからなくなってしまった父は、

祭壇を片付けて整理し、母の遺影さえ別人だと思ったり、

時には生きている人だと思って

「この人誰だ。話ができない変な人だ。」

と言い出す始末。




書きたかったことは、こんなことではないのです。


昨日、祭壇に線香をあげることと、父の様子を見ることのため実家に行きました。

父は一人暮らしになってしまいました。

もちろんこれからの対応を考えています。

それが決まるまで、毎日交代で様子を見に行くのです。

そこで、いろいろ家のことや父の面倒を見て午前中を過ごしました。


すると、祭壇のある部屋の隣の畳部屋で、

どこからかモーターの音のようなノイズが聞こえてきます。

不思議に思って音のする場所を辿っていくと、

無造作に重ねられた姪が使う折り紙の下から聞こえます。

そこに埋もれていたのは母が使っていたいたトランジスタラジオでした。

見るとスイッチは入っていません。

不思議でしたが、電源を確認し、音を止めてテーブルに置きました。

ところが10分後。

また鳴り出したのです。

確認しても、やはりスイッチは入っていません。

驚いて電池を抜きました。

確かに古いものなので、スイッチの部分が故障しているのかもしれません。

でも、これまでにそんなことは起きたことがありません。

もう…思ってしまいました。

これは母からのメッセージだと。

そう思うと、怖くありませんでした。




わかってるよ。

ちゃんとするからね。




忘れてはいけない気がして、

書き残すことにしたのです。