アイデンティティー | むくみかんづめ ~ネフローゼ闘病にっき!~

むくみかんづめ ~ネフローゼ闘病にっき!~

今日も今日とて生きてます。

2011年6月にネフローゼの診断を受け、再発を繰り返しながら脱ステロイド目指してます!



たった一言が
わたしを苦しめるとすれば
たった一言が
わたしを救うこともある

何気ない言葉1つで心を乱すとしたら
それはたった一言
お前は健常者じゃない
それだけです



去年はほんと年明けから波乱でした。
ただただ辛かった成人式。
いま思えばなんで行ったんだろうというくらいです
再発したまま、あの場を笑って過ごした自分に拍手だなと思います。

そして1年を通して病気と向き合うことになりました。

免疫抑制剤を処方されたときの辛さはいまでも忘れられません。
元々は抗がん剤として使用されていたものだったり
ハタチそこそこの娘がそう簡単に受け入れられるものではありませんでした。

二度目の再発、薬の変更
新しい薬が合わなくて、何度も吐くことになり
毎日ただただ気持ち悪くて苦しい日々でした。
結局、薬の量が減って少しましになったところを見ると、血中濃度があがると私は体調が悪くなるようですね。


大量の薬で生かされてるこの体。
なんのために生きてるんだろうと、考えることがあります。
薬を切ると死ぬわけです。
ある意味、延命装置を付けられてるのと同じことなのです。
主治医には死ぬ前にしんどくて堪らなくなるから薬飲むよと言われてますけどね(笑)
わたしの命は1日何円と引き換え
ふと考えて切なくなります
高い薬だと散々言われますけどね


すべて病気になったわたしが悪いと
おとなしくしないわたしが悪いと
何もかも私のせいだと
自覚症状はあるでしょう?と

でも、それをすべて我慢して我慢して我慢して
わたしは生きなくちゃいけないのか
その選択を迫られる身になったのかと思います。

自覚症状はあるんです。
ストレス食い
ひたすら過食に陥り、1日中食べっぱなしで
2週間で4キロ太ったり
忙しさからの睡眠不足
レポートに試験が重なり、寝てない生活が続くこともありました。

けど、そんなことしただけてで再発してしまう身体になってしまったこと自体がわたしには苦痛で
結局、良くならないなら我慢なんてしたくないっていうのが本音なのです
薬だって切りたいけれど
何度も何度も再発して
どんどん副作用はきつくなっていって
闘病自体に心がおれかけるのです
ならば、やりたいことをしようと
そう思ってしまいます


自分が病気であることをふと忘れる瞬間があります。
その時は、必ず病気のことを知らない人と一緒、もしくは大学の仲良い子達といるときなんですよね。
なんでかなって考えると、答えは簡単でした。

知らない人といると知らないから心配されない
大学の子達はもはや日常すぎてわたしのアイデンティティーとして病気を認識してくれてる
そうじゃない人たちにとってわたしの病気は可哀想なおまけなのだと。
同情を含んだ心配なら、いりません。
食べ過ぎwwwwって言われる方が、我慢しなくてはと思うのです。

授業中に倒れたことがあります。
次の日、誕生日パーティーでした
いつものメンバーはわたしにケーキ食べさせて大丈夫なのかと思ったけど、あのこら知らないからほっといたと
しんどいなら食べやんでええよと
ちゃんとわかってくれてるってこういうことか、と思わされました。



病気をアイデンティティーにすることは、簡単なことではありません。
周りが認めてくれるからこそ、わたしは病気をアイデンティティーとして認められるような気がするのです。

言葉とは、時に残酷です。
その意識だけは忘れないようにしていたいと思います。