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心温まる感動ストーリーを通じて感動を科学する!

心温まる感動ストーリーや感動研究を通じて、元気や勇気、生きる喜びを高めて欲しい!!(社)日本WEBライティング協会公認ブログです。


『わたし、一度死にました』(東京都:匿名希望)


―――どん底からこそ、人生の勝利への扉


「痛っーーーーー!!!!!!!」

栄子は、久しぶりに近所に買い物に自転車を走らせている最中だった。
「ええっ??!!な、なに??!!肉離れ??!!
急に起きて自転車をこいだから肉離れかな??
わたし、いちおうは元体育会だし、そんな身体やわかったっけ。。。」
ちょうど、栄子はこの一週間、壮絶な激痛で病床に伏していたのだ。
それは、「結石」。
結石の激痛は、床を這いずり転げまわり呼吸困難になるほどのものすごい苦しみなのだ。
だが幸い、結石は無事すぐに落ちてなくなったのだ。
ようやく回復した栄子は、
久しぶりにリハビリを兼ねて自転車をこいで近所に買い物へ行くところであった。
とりあえず、栄子はびっこを引き引き、早めに買い物を切り上げ帰宅した。
「!!!!!!!!!!!!!」
びっこを引きながら帰宅し靴を脱ごうとその時、
家の玄関口の下足棚の姿見に写し出された自分の姿が目に飛び込み驚愕した。
「片方の足だけが、、足が、、足が、、、うわーーーーーーっ!!!!!!」
片方の足だけが2倍の太さになっており、
それはそれは目を覆うほどのおぞましい足になっているではないか。
しかも、色もどんどん腐った色に変色していく。
栄子は、パニックで何が起こったのかもう理解ができなかった。
とにかく頭が狂いそうで発狂寸前であった。
あまりにも片足だけが太い為、
足がお互いこすれ合いうまく歩くことすらもできなくなり、、、みるみる歩行すらもできなくなった。
「なんだこれはーー??!!うわーーーーーっ!!!」
発狂寸前の中、救急車でまたもや運ばれる。
病院でCT検査。
栄子は、とにかく嗚咽で声にもならなかった。
「な、な、なんですか??足が片方だけ2倍の太さなんて、
治りますよね??治りますよね???!!!」
と、声にならない声でレントゲン技師に尋ねる。
「・・・・・・・一見すると、おそらく片足切断になるかもしれません・・・・・」
「???!!!はーーーーーーっ???!!!ぎゃーーーっ!!」
もう栄子は、声にもならなかった。頭をハンマーで殴られたようだった。
医師の診察になり、
「先生!!!これだけ医学が発達しているのですから、
元の太さに戻りますよね?戻りますよね??せんせい!!!」
と栄子は、号泣の中、医師の袖にすがり揺さぶった。
「残念ですが、太さは一生涯こうでしょう。
そして、一生涯、後遺症と付き合うことになります。覚悟して生きて行かなければなりません。」
容赦なく残酷なとても信じがたく、断定しきった医師の言葉に、生きる希望を失った。
涙がとまらず発狂した栄子であった。
「足の先から、太腿の付け根まで、血栓で隙間なくびっちりです。
足の弁が全壊ですので、太さを戻すことはできません。
それより、よく生きておられました。なぜか、肺の直下で血栓が止まっています。
いやこれは不思議なことです。
ですが、いつ肺に血栓が飛ぶかわかりません。簡単に飛ぶものです。
飛んだら即死ですので、とにかく動かないでください。」
栄子は、「いつ即死するかもわからない状況だ。」などと言われ、
恐怖におののきもう頭が狂う寸前であった。
もう何が起きたのかもわからず号泣で、いつ即死するかわからない恐怖。
死ななかったとしても、一生涯、太さが元に戻らないという現実、
一生涯、後遺症と付き合う現実、もう栄子は死んだ方がよいとさえ思った。
ーー栄子は、かつて、足が自慢でさえあった。
芸能界で活躍していた時期もあり、アイドル活動、モデル、レースクィーンなどなど、、
それはそれはもう自慢の足であり、他人もうらやむ足だったのである。
とりわけ自慢の足であった栄子にとって、
一生涯、足を隠して過ごさなければならない苦しみは死に匹敵するほどの辛さなのである。
片方の足だけが2倍の太さでは、絶対に人目につかない様につま先まで隠さなければならない。
―通称「エコノミークラス症候群」 重症クラス
一週間ほど前に患った結石により安静にしすぎた為、
身体に血栓が発生し、いきなり起きあがり自転車をこいだ為に、
片足全部に血栓が広まり肺の直下にまで隙間なくこびりついたのだ。
普通であれば、当然、肺にまで飛び一瞬にして即死であったが、
不幸中の幸い、なぜか不思議なことに肺の直下で止まっているという。
だが、油断は一瞬もできる状況ではなく、一命は取り留めても足の弁が全壊の為、
太さが戻る可能性はなく、さらに後遺症と死ぬまで付き合っていくという
あまりにも残酷な結果を余儀なく言い渡されたのである。
栄子はもう死にたくて死にたくて死にたくて仕方がなくなっていた。
どうして助かってしまったのかとさえ悔やんだ。
「どうして死ななかったの??!!
死ねばよかったのに!!死んだたら良かったのに!!うわーーーん!!」
来る日も来る日も、朝、目が覚めるのが地獄であった。
終わりがみえない地獄。目が覚める地獄。
どうして目が覚めてしまうのだ。このまま永遠に目が覚めなければよいのに。と。
地獄の闘病生活だった。
病院の窓から、東京タワーがみえた。六本木ヒルズがみえた。
この日まで、
「これからビジネスで成功するんだ!!」と東京タワーに向かって叫んで頑張っている日々であった。
この時の栄子には、もう東京タワーが視界に入ってももう立ち上がれなかった。
どうでもよかった。むしろ早く死にたかった。
どうして死なせてくれなかったのか悔やんだ。
東京タワーがみえる病院から度々飛び降りる気持ちにさえかられた。
首に穴をあけ、カテーテルを入れ血栓溶解を行った。
だが、足にできた血栓は既にカチカチに塊となり血管壁にこびりつき溶解不可能、
血管壁にたくさんついているなんと髪の毛よりも細い弁は、
当然に全損傷、全壊、医学的に、世界中のどこの優秀な医療機関に行こうとも、
人間の髪の毛より細い弁を再建する術はなく、弁を取り付けることも、
人口弁もできないのである。
カチカチに固まった血栓が、血管壁にへばりつき塞いでしまっている為、
溶解不可、このまま一生付き合うのはもちろん、肺塞栓という命の危険とも隣り合わせだという。
既に、全壊してしまっている弁はもう復活はできず、
粉々に壊れてあとかたもなくなっているのだという。
日本中、いや世界中のこの専門の優秀な医療機関、
ありとあらゆる名医を調べ尽くしては診察を受けた。
だが、すべての名医が同じ結論であった。一生涯、腐った、変色した色、二倍の太さの足。
肺塞栓で命を落とす危険。
「スーパーに行けば、陳列棚の下の方の商品が取れない!
屈伸ができない!自転車も、お風呂も、正座も、トイレの和式も、
何もかも、、、片方の足だけピーンと延ばした状態を保つから不自由で仕方がない!!
生きていたくなんかない!
しかも、片方だけこんな腐った変色した色、二倍の太さじゃ、
死ぬまで足を出して外出できないうわーーーん、死んでればよかった!!
死ぬその日まで付き合うなんて、、死なせてーー!!」
栄子は、終わりのない地獄の日々に、生きた屍のようだった。
ストレスで顔も肌もぼろぼろ、髪も一気に白髪が激増した。


ーーー

母親が毎日毎日来る日も来る日も、
「死なしてくれ!」と発狂する栄子を抱きしめながら取り押さえ慰める闘病生活だった。
ほうっておくと、ふらっと自殺しかねないのだ。
包丁を手に取ったり、踏切にふらっと行ってしまうような気持にかられたりと、
目が離せない状況なのだ。
いつも、抱きしめて少しずつ少しずつなだめ慰めていくのだった。。。
当然、まったくどんな慰めも栄子の耳には入らなかった。。
「栄子ちゃん、あなたはどうして奇跡的に生きていたかわかる?!
あれだけの著名医師すべてが、不思議なものだ。
不思議なことが起こったものだ。と首をかしげていたでしょう。
本当は即死であったあなたは、どうして生きていたと思う??
それは、あなたは生きるべくして生きていたのよ。生きる使命があったからなのよ。
生きるべき使命があって生きているの。
だから、生きて活躍する使命があるのよ。
栄子ちゃんは、そういえば昔から文章を書くのが好きだったわね。
人を笑わせるのが好きだったわね。たとえたとえ足がなくたって、「書く」ことはできるでしょう。
せっかく、助かった命、栄子ちゃんは、人の為に何かを書いて、
笑わせて、人に元気を与え、希望を与えていく道を進むのはどう?
何も飾る必要もない。ありのままの自分で、他人に元気を与え、希望を与えること。
それがどれだけ尊いことだと思う?
他人に元気を与えれば、自分にも不思議と恩恵はかえってくるものなのよ。」


―――

栄子は、最初は当然もちろんなかなか生きた屍から脱することはできなかった。
思考能力もゼロ、気力もゼロ、、
だが少しずつ少しずつ、母親に言われたように「書くこと」、
「言葉」を意識するように少しずつ励んでいったのである。。

―――数年経ち・・・


栄子は、ビジネス社会への復帰を果たす。
その一部に「ライター」としての仕事も。足は、なんとも奇跡的に「完治」したのだ。
日本、いや世界中の名医が不可能だと断定しきった病がなんとも完治したのだ。
名医達は、再度の不思議な出来事に驚愕している。
あれだけびっちり隙間もなかった血栓は、身体中すべてから微塵、あとかたもなくなり、
なんと全壊したはずの髪の毛より細い足の弁が正常にしっかり動いているという。
もちろん、なんの「治療」もしていない。
この世になんの「治療法」も存在しないからだ。
本当に不思議なことだが、勝手に、身体中の細胞が蘇生したのだ。
勝手に自己免疫力で治してしまったのだ。度々、なんとも不思議なことである。
人は、人の為に生きるという決意をした時、
人に希望を与え、人を元気にさせ、世の為に尽くそうと決意した時、
身体中の細胞が蘇生するのかもしれない。
医学では決して解明できないが、無限の力が湧くのかもしれない。
まさに「蘇生」とはこのことである。
栄子の現在の足は、正常な人の足とまったく同じ弁機能だと医師は言う。
病気は「なかったこと」にさえなった。
栄子は、「書く」ことによって、人間の無限の蘇生力、
底力の可能性を多くの人々に伝えていきたいと意気込んで
日々活き活きと充実した日々を過ごしている。


―――どん底をみたからこそみつけた人生の勝利への新しい扉。



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「ペットからのお手紙」 (埼玉県:越智由季子様)


家族の一員であるペットたち。
可愛がってくれる人たちに伝えたいことをたくさん持っています。
いつでも語りかけているんですよ。
時には、虹の橋のたもとに先に行っていても。

私のところには時々「ペットからのお手紙」が届くんです。
それを大切な家族のもとに届けるのが私の役目。
4本のお手紙をご紹介しますね。
最初の1本は今幸せに暮らしているコからのお礼、
残りの3本は虹の橋のたもとでかわいがってくれた飼い主を待っているコからです。


1:初めまして、ぼく、正吉です

皆さん、初めまして。ボク、正吉です。ミニチュアダックスとチワワのミックスの男の子です。
ボクのお父ちゃんのお友達が皆さんにこのお手紙を届けてくれるそうです。
ボクのこと、これからよろしくね♪
ボクはお父ちゃんと2人で暮らしています。
お父ちゃんが初めて、ボクが生まれたおうちにボクらを見に来てくれた時、ボクはビビビ!ときましたよ。
この人が、ボクと家族になってくれる人なんだってわかったんだ。
ボクには一緒に生まれたお姉ちゃんが2匹いたけど、絶対ボクを連れ帰ってくれるって確信したんだ。
これが「カミサマのオミチビキ」ってやつ?
お父ちゃんと暮らせてボクは本当に幸せ。
ボクはまだ小さいから、お腹を壊したりご飯が食べられなくなったりすることもある。
するとお父ちゃんはすごく心配して、すぐお医者さんに連れて行ってくれるんだ。
ボクもお腹が痛いけど、お父ちゃんの心配そうな顔を見るほうが辛いよ。
お医者さんはちょっと怖いけど、我慢してすぐよくなるからね。
お父ちゃんは毎日ボクを残してお仕事に行く。
寂しいけど、ボクのご飯を買うためでもあるんだもんね。
いい子でお留守番しているよ。でも、たまに寂しくなっていたずらしちゃうこともある。
帰ってきたお父ちゃんに「め!」って叱られるけど、お父ちゃんの顔は笑っているのがわかっちゃうんだ。
お留守番が寂しくていたずらしちゃった気持ちが、お父ちゃんにはわかるんだね。
「ゴメンナシャイ」ってウルウルした目で謝ると、すぐ許してくれるんだ。
ボクのお父ちゃんは、見た目はごついけど、すごく優しい人なんだよ。
優しすぎて、哀しい思いをすることも多いみたい。
でも、ボクたち動物はちゃんとわかっているから。本当に優しい人間とそうでない人。
ボクらの目はごまかせないさ。
そして、「本当に優しい人」は必ず幸せになれる。
だって、ボクらそういう人たちに幸せにしてもらった動物たちが、みんなで神様にお願いするからね。
お父ちゃんも、そのお友達のワンコやニャンコのお母さん、お兄さん、お姉さんたちみんな。
この世での役割を終えたら、虹の橋を渡った永遠の花園でみんなで幸せに暮らすんだよ。
苦しみも悩みも痛みも、何もない世界でね。
残念ながら、ボクらが先に行くことになるだろう。
すでに虹の橋のたもとで待っている仲間もいるね。
可愛がってくれたお母さん、お父さんたちをたくさん悲しませてしまって。
でも大丈夫さ、みんな待っているんだよ、優しいお父さん、お母さんとまた会える日をね。
もちろんボクはまだ子供だから、ずっとずっと先のことだろう。
それでも、人間に見えない「虹の国」がボクらには見えるんだ。
お父ちゃん、ずっとずっと一緒だよ♪これからもよろしくね。


2:そばにいるよ

兄ちゃん、元気ですか?
ぼくは遊です。
僕が地上にいるときは、ずっと一緒だったよね。
ぼくが兄ちゃんのおうちに来た時は、僕も小さかったけど兄ちゃんもまだまだ子供だったよね。
二人でたくさんいたずらして、お母さんに怒られたっけ。毎日毎日一緒のお布団で寝たよね。
「遊のねごとで起きちゃったぞ~」って言われたけど、兄ちゃんのいびきも相当うるさかったんだよ(笑)
でも温もりが嬉しくて、布団から出ようとは思わなかったけどね。
ぼくは兄ちゃんの匂いが大好きで、ついついちびちゃったことが何度もある。
それでも兄ちゃんは怒らなかったよね。僕が兄ちゃんを大好きでちびってることをわかってくれたから。
兄ちゃんが家からいなくなるときは本当に寂しかった。
「ぼくを置いて行かないで!」って言いたかったよ。
でも、兄ちゃんは大きな世界に羽ばたくんだから。
足を引っ張っちゃいけないって我慢したんだ。
おうちに帰ってきたときは、まず最初に僕をだっこしてくれる、それだけでよかった。
そして、僕の地上での時間の終わりが近づいてきた。
僕らに許された時間は、人間のそれよりずっと短いから。
急激に弱った僕を見かねて、お母さんが兄ちゃんに電話してくれたね。
すごく苦しかったけど、僕は頑張ったよ。
もう一度兄ちゃんに会うまではって。
だって、虹の国に行く前に兄ちゃんに言いたかったんだ。「しあわせをありがとう」って。
ずっとずっと待っていた。
兄ちゃんは、ちゃんと帰ってきてくれた。
そして僕に言ってくれたんだ。
「ゆう、今度生まれてくる時は俺の子どもとして生まれておいで?で、俺よりも長生きしてや?」って。
その時、僕がどんなにうれしかったかわかる?こんなに愛されて、最後まで僕は幸せだった。
そして僕は虹の橋を渡った。
そこは苦しみも辛さもない楽園。
たくさんの友達がいる。
愛された動物たちは愛してくれた人が来るのをそこで待つのさ。
僕もそこで兄ちゃんを待っていようかと思った。
でも。
兄ちゃんとの約束を果たさなくちゃいけない。
子供だった兄ちゃんはいつの間にか大人になって、とても素敵な女の人と結婚した。
僕は神様にお願いしたんだ。
人間社会は、この虹の国より苦労もある。
それでも僕を人間として生まれ変わらせてください。
兄ちゃんの子供として、地上にもう一度戻してくださいと。
神様にその願いが通じた。
僕は、光となって兄ちゃんの愛する人の中に入った。
人間になった僕は性別が変わって女の子になっていたけど(天使になった時点で性別は無くなるんだけどね)
兄ちゃんはすぐわかってくれた。
僕の名前をつけてくれたんだ!!それを赦してくれる優しいママもいた。
兄ちゃん、僕は遊だよ。ずっとそばにいるよ。


3:三平君が大好きだった街

おかあしゃん、お元気ですか?三平です。
今日ね、ナナ姫さんから「内緒話だけど三平君には先に教えてあげるわ。
三平君のお母さん、うちのお母さんの家の近所に戻るんだって。
2人とも、たまに私たちを思い出して泣いていることがあるけど、そばに気持ちを分かち合う人がいれば、泣くことが半分になるわね。
私も安心したわ」と聞いたんだ。
おかあしゃん、浦和に戻るんだね!
ぼくたちが一緒に暮らした街だ!
あのころは楽しかったね~お友達もたくさんできた。
ナナ姫さんのところのペロちゃんとは、日本犬同士で余り一緒に遊ばなかったけれど。
でも、おかあしゃんとペロちゃんのお母さんがおしゃべりしているそばでのんびり寝そべっているのは楽しかったよ。
2人とも僕らを愛してくれる気持ちが伝わってきたから。
ジョー君は元気だろうか?
たくさんの仲間がいたけど、その何匹かはもうここにきている。
まだ浦和にいるお友達は何匹いるだろう?妹たちも、ボクのお友達と仲良くなれるといいな。
浦和はいい街だ。
僕らは一緒にたくさんの思い出を作ったね。
僕は本当に幸せだったよ。
おかあしゃんと一緒に大阪に来てからも、たまに浦和の街を思い出した。
一度だけ、車で連れて帰ってもらったよね。
その時、いつも行っていた公園でペロちゃんのお母さんに会ったの、覚えているよ。
妹たちもあの公園に連れて行ってやってね。ボクに作ってくれた思い出と同じくらい、妹たちにも作ってやって。
おかあしゃん、ぼくが大好きだった街に戻るんだね。
僕は嬉しいよ。
この虹の橋のたもとでおかあしゃんと再会した時はたくさん浦和の話をしようね。
もちろん、ペロちゃんとナナ姫さんとそのお母さんも一緒にさ。
おかあしゃんたちの前に僕らのところに来るだろう妹たちや、
ナナ姫さんのところのポンタくん、シロさん、ミ~ちゃんさんはおかあしゃんたちが来るまで僕が守るからね。
また会う日まで。もうすぐ埼玉県民のおかあしゃんへ。
虹の国の三平より


4:Anne、お元気ですか?

地上にいるAnne、お元気ですか?
Anneがいるトルコ、それから故郷である日本も雪が降るころでしょうか?
私はステラです。
今は虹の橋のたもとでお友達と楽しく遊びながらAnneとまた会える日を待っています。
私もAnneが生まれた国、日本に行ってみたかったです。美しい桜が咲くという、四季に恵まれた国へ。
今日はAnneにお知らせしたいことがあってお手紙を書いています。
あのね、私ね、神様にほめていただいたんです。
「ステラよ、あなたが地上にいた時に背負った使命を最後までよく全うしたね。
あなたがこの虹の国に来てもその恩恵はまだまだ続いているよ。」と。
Anne、私が地上で与えられた時間が少なくなり、最後に背負った使命は何だかわかりますか?
それはね、Anne、あなたとナナさんのお母さんたちと結びつけることでした。
Anneが皆さんと交流するようになったのは、私の病気について聞いてもらうことがきっかけでしたよね。
もし、皆さんと知り合わなかったら、私の死の重みにAnneは耐え切れず、一人で泣き暮らしていたことでしょう。
そして、新しい子たちを迎え入れようなんて考えもしなかったでしょう。
Anneが迎え入れてくれなかったら、あの子たちはすぐに私たちがいるところに送られたかもしれません。
私があなたにもらった幸せを、地上で受けられないうちに。
でも、お友達のみなさんとお話しして、私を失った悲しみの中でも、新しい命のことを考えてくださいました。
そして、今回はまた2匹の外にいた猫をおうちに入れてくださったのですね。
カッパドキアがどれだけ寒くなるか、私は知っています。
寒くなる前に、温かいおうちに入れて、本当に良かった!
神様がほめてくださったのはそのことですよ。
お友達のみなさんがAnneの背中を押してくださったこと、ステラは知っています。
Anne、そして今一緒にいるお友達のみなさん、そのやさしい心で、一つでも多くの命を救ってください。
皆さんが、地上で動物たちに優しくすると、この虹の国では花が一輪咲きます。
皆さんの心が咲かせた花ですから、それはそれは綺麗ですよ。
そして、地上にいる誰がその花を咲かせたか、ここにいる全員に判るのです。
自分が地上にいた時に可愛がってくれた大好きなお母さんが天の園に美しい花を咲かす。
それは、私たちにとって大きな誇りであり喜びでもあります。
皆さんの優しい心で、ここを一面の花園にしてくださいね。
大好きなAnneへ。風邪をひかないように、気を付けてくださいね。







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1989年、旧共産圏から民主化し大きく変化したポーランドは、いま急激に経済成長しています。


GDPは21年連続プラス成長で、ヨーロッパで唯一、ユーロ危機やリーマンショック時にも成長を維持しました。


そんなポーランドは、実は驚くほど親日的なのです。


剣道など日本の武道がブームで、ポーランドきっての名門ワルシャワ大学の人気学科は、日本学科。その倍率は30倍を超えるといいます。



1920年、第一次世界大戦後、ロシア革命の内戦中、多くのポーランド人はシベリアに抑留されていました。


ロシア脱出はシベリア鉄道の陸路は交戦中で使えず、たとえポーランドに戻っても家が無かったのです。


極寒の地で次々と命を落とす中、ポーランドは両親を失った子どもたちだけでも救おうと、救命嘆願書をアメリカやイギリスへ助けを求める手紙を出しました。


孤児たちの輸送と援助を頼みましたが、国際関係の緊張から各国は冷淡なものでした。


そこで最後の望みをかけて日本に助けをもとめました。


外務省が動いて、孤児たちの救済を即決。


1920年7月下旬、56人の孤児がウラジオストクから敦賀を経て東京へ入り、渋谷の宿舎に収容されました。


当時日本とポーランドに正式な外交関係はなく、その上、祖国と分断された在シベリア民間人の費用と手間がかかる依頼を実行したのは異例でした。


そして1920年から22年にかけて計5回、1~16歳の765人の孤児たちが船で日本へ運ばれ、想像もつかないほどの温かいもてなしを受けたのだという。


到着直後のポーランド孤児たちはチフスを患い、頭にはシラミ、餓死寸前の子もいるという最悪の健康状態だったのですが、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護しました。


日本全国に孤児たちのことが報じられ、寄付金、玩具、お菓子などが送られ、歯科治療、理髪、慰問演奏、慰安会などがボランティアによって行われました。


歯科治療や散髪のボランティアを申し出る人たち、衣類やお菓子・オモチャや人形など慰問品を持ち寄る人々、寄付金を申し出る人々は、後を絶ちません。


音楽団の慰問演奏や慰安会への招待も相次ぎました。


また、大人に連れられお見舞いに訪れた日本人の子どもたちは、自分が着ている洋服や、身につけていた髪飾りを、迷わずポーランドの子どもたちに与えようとしたのです。




さらに、こんなエピソードもありました。

日本人の若い看護婦・松沢フミさんは、腸チフスにかかった子どもに対して、「せめて私の胸の中で死なせてあげたい。」 と、その子のそばを片時も離れずに看護を続けました。


その甲斐あって、その子は奇跡的に回復しましたが、フミさんは腸チフスに感染し、ついに殉職したそうです。



また、別の子の、こんな回想もあります。
「ひどい皮膚病にかかっていた私は、全身に薬を塗られ、ミイラのように白い布に包まれて、看護婦さんにベッドに運ばれました。その看護婦さんは、私をベッドに寝かせると、布から顔だけ出している私の鼻にキスをして微笑んでくれました。私はこのキスで生きる勇気をもらい、知らず知らずのうちに泣き出していました。」


こうして、日本人の温かい心に触れた子どもたちは、来日当初の青白く痩せこけていた彼らとはまるで別人のように、元気がみなぎってきました。


それは、もちろん喜ばしいことでしたが、同時に、子どもたちが故国に帰る日が近づいていることを意味していました。

「誰もが、このまま日本にいることを望んでいました。太陽が綺麗で、美しい夏があり、海があり、花が咲いている日本に。。」




日本を出航する時には、バナナやお菓子が配られましたが、親身に世話をした日本人との別れを悲しみ、送られる子どもたちも、そして見送る人々も、涙、涙。。


子ども達は船のデッキから日本語で「アリガトウ」と叫び、日本の歌を歌って感謝の心を表してくれたのです。




この時、子どもたちを送り届けた日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回り、ひとりひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫で、熱が出ていないかどうかを確かめたといいます。


「お父さんの手は、きっとこんなに大きくて温かいんだろうなぁ。」
と、薄眼を開けて、船長の巡回を心待ちにしていた子どももいたそうです。


この子たちは、帰国後、孤児院に収容され、それぞれの人生を歩んでいくことになりますが、異国の地で注がれた愛情が、その生きる力になったことでしょう。



日本ではそのことは歴史の渦に埋もれていき、ほとんどの日本人はポーランドとの出来事を忘れていきました。
しかし、ポーランド国民は違っていたのです。



1980年、民主化の動きが起こり、立役者となったレフ・ワレサ氏は初の外国訪問先に日本を選び、1981年5月に来日し、「日本は大きくて平和で偉大な可能性に満ちた国だ」と評し、帰国し「ポーランドを第二の日本に」と言うスローガンを掲げました。


そして、1989年、ポーランド共和国となりました。




1993年からポーランド大使を勤めた兵藤長雄氏はポーランドの親日を不思議に思い、
原因を調べて広めることとなりました。

1995年10月、8人のシベリア孤児の公邸訪問が実現しました。


すでに孤児は80歳を過ぎていましたが、当時の思い出は鮮明に残っており、感謝の気持ちを語りました。
そして、兵藤氏は任期を終える年まで交流を重ねました。


極東委員会の副会長ユゼフ・ヤクブケヴィッチ氏は礼状を送りました。


「ポーランド国民もまた高尚な国民であり、いつまでも恩を忘れない国民であることを日本の人たちに知っていただきたい。ポーランド国民は日本に対して、最も深い尊敬、最も温かい友情と愛情を持っていることをお伝えしたいと思います。」
とありました。



その事を証明する出来事が1995年起こりました。

阪神大震災の報に接したポーランドの人々は、翌日からすぐに被災地の救援に動いてくれました。
そして震災で孤児になった子どもたちを、ポーランドに招いて、慰めてくれたのです。

ポーランド各地の自治体、企業、資産家、芸術家、個人から寄付や協力がなされました。


2度目の訪問の終わりに、震災孤児と元シベリア孤児達が対面し、かつての話を語り友好を深めたのです。





2006年、ポーランド孤児の最後の一人・アントニーナ=リロさんが、90歳で亡くなりました。

息を引き取る前に、彼女はこんなひとことを遺したそうです。

「日本は天国のようなところだった。」




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参考・引用;

http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/entry-11021960188.html
http://yukan-news.ameba.jp/20140408-112/
http://japanophile.info/?p=125
https://www.youtube.com/watch?v=4ZI6EwX5c80


硫黄島の戦いは、戦史に残る壮絶で凄惨を極めた戦いです。

昭和20(1945)年2月19日の米軍上陸から、3月26日の玉砕まで繰り広げられました。


日米の島しょにおける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。


島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計2万933名です。


米軍は、そこに11万の大軍を送りこんできました。


ここで戦死した市丸中将の遺した書は、なぜか日本よりも、全米の国民に影響を与えています。


あらゆる兵力においてはるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。


この「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。

また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも紹介されました。


その内容は、ひとことで要約すれば、強国が弱国を蹂躙し、支配し、奪うのが当たり前とする19世紀的覇権主義を否定し、世界の人種それぞれがそれぞれの地域で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって立派に通用する内容のものとなっています。


当時、米軍は、戦いの後、日本兵の遺体から所持品を確かめていました。
市丸中将は、それを知って、この「書」をしたためられています。


市丸中将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは、3月26日です。
その9日前の3月17日、中将は、地下20メートルの洞穴に、動けるものを全員集めました。


そして副官である間瀬式次中佐が、一歩前に出て、「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。


朗読が済むと、この書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。
英文のものは赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けました。


そして市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行い、散華されています。


この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか196柱でした。
陸海合わせて2万933名いた守備隊は、3月26日の吶喊攻撃のとき、動ける者は、すでに196名になっていたのです。


「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。
従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を4月4日、本国に向けて打電しました。


そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、全米で大絶賛されました。
「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となりました。


軍人にとっての勝敗は、もちろん戦いに勝つことです。
それが島の守備隊であれば、島を敵の手に渡さない、島を守りきることが軍人としての使命です。


けれど国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。
大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。


市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないか。



当時の駐米英国公使であるロナルド・キャンベルは、ルーズベルトについて、英国外務省に宛てた手紙で次のように書いています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。

ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された8日後に他界しています。
けれど、市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っています。


市丸中将の遺稿となった、その「ルーズベルトに与うる書」の全文を、口語訳、原文、でご紹介します。


市丸中将のまさに血を吐く思いで書き綴ったこの「書」は、当時の日本の心を描いた普及の名著ともいえるでしょう。


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【口語訳】ルーズベルトに与うる書

日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。

日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。

あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。

おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。

このことはかつて、

 四方の海
 皆はらからと 思ふ世に
 など波風の 立ちさわぐらむ

という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。

わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。
わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。

わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。

なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。

あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。

そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。

近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?

大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。

ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。

大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。

ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。

今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。

あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。

あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。

けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。


市丸海軍少将
==========


【原文】
(「米国大統領への手紙」平川祐弘 新潮社より)

日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。
我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。
日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。
之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。
貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。
畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。
之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。
我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。
我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。
我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。
之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。
卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。
之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。
近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。
大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。
卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。
只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。
卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。
大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。
飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。
今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。
卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。
凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。
卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。
願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。


市丸海軍少将
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参考及び引用;

ねずさんのひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1416.html

そのとき、福島第一原発から約25km離れた地点に、ハ・ミンタンさんはいました。


ハ・ミンタンさんは在日ベトナム人で、
日本に帰化した警察官です。


彼は、福島県警察庁を支援するために被災地に入ったのです。


最も過酷な状況における日本人の人情と、


強固な意志に関する感動的な物語を話してくれました。



死者があまりにも多い・・・


初日に警察官全員で黙とうし、


あまりにもひどい惨状に涙しましたが、


その後は泣く時間もないほどでした。



彼は治安確保のために福島に派遣されたものの、
治安自体はかなり安定しています。


地域住民は、保安チームを結成し、お互いに助け合っています。


仮に盗難しようとする者がいても、簡単にはできません。


そのためにこの数日間、彼は主に被害者の埋葬と、
食料分配の手伝いをしていました。



そして3月16日



被災者に食料を配る作業を手伝うため、
彼は小学校に派遣されました。


人々の長い列の中で、9歳ぐらいの子どもを見かけました。


『短パンとTシャツしか着ていない・・・』



非常に寒い気温の中で、少年が列の最後にいるため、

「少年の順番まで配る食料もない」

と心配し、近寄って話を聞きました。



少年は体育の時間の最中に、地震と津波が来たといいます。


その近くで仕事をしていた少年の父親が学校に駆けつけましたが、
少年の口からは、信じられないような出来事が語られたのです。


「学校の3階のベランダから、父親と車が水に飲みこまれたのを見た。
海岸近くの自宅にいた母や弟、妹も避難できなかっただろう・・・」


肉親について話す時、少年は声を震わせたが、
急いで顔を振り、涙をふきました。


少年が寒そうに震えているのを見て、
彼は警察のコートを脱いで少年に掛け、


持っていた夕食のパックを渡しました。



すぐに食料を食べると思っていたのですが、
少年は、夕食のパックを配給用の箱に置き、
列に戻りました。


彼のびっくりした眼差しに対して、少年は言いました。


その言葉に、ハ・ミンタンさんはさらに驚かされます。


「ほかの多くの人が、僕よりもお腹をすかせているだろうから、
 そこに入れて、公平に配ってもらいます」


それを聞いて、警察官の彼は、
急いで少年から顔をそらし、涙を隠しました。


<困難な時にも、人のことを考えてあげることができる>


最も困難な時に9歳の男の子が、
人としての道を教えてくれるとは思いもよらなかったのです。


「9歳の男の子でも、『忍耐強く』『困難を耐え』

『他人のために犠牲になる』ことが出来る、

日本人という民族は、偉大な民族だ!

今、日本は最も困難な状況に直面しているが、

少年の時から自分を捨てることができる国民性のおかげで、

必ずや、より強く再生するに違いない!」



彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と、

強固な意志を象徴する小さな子どもの話に、

ベトナムの人々も涙を流さずにはいられなかったそうです。




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引用動画サイト:【東日本大震災】 ベトナム中を涙させた少年の話 - 感動の実話
http://youtu.be/bX6u0ZdGxws