審判奇譚 第七章66 | 神鳥古賛のブログ

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古典。読めば分かる。

 関はるふみならば、罪無きの証し、罪無きの告げ、更に罪無き告げの事わけなどのふみ、彌増しに増ゆるの他は、変はる事あらず。


さはさりながら、関はりあるふみは、尚も手続きのさ中なり、裁きの司事執り所どしの絶ゆるなき取り遣りのあるべき成り行きとして、


上ざまの裁きの司に送られしかと思ひきや、下ざまの裁きの司に差し戻さるなど、大きく振れ小さく振れ、長く短く、様ざまに滞りつゝ、上へ下へとたゆたひなん。


その行くへは思ひ量るよすがもなし。ほかざまより見れば、全ては早やもうち忘られ、関はるふみは失はれ、罪無きの告げはいよゝ全きものとなりしかと見ゆる事もあれ。


さりながら、事に通じたる者ならば、さる事、信ぜんものかは。関はるふみの失はれん事などあるべからず、裁きの司のうち忘れんなどあるべからざればよ。


いづれの日にか━━何ぴとも、さる事、待ち望まざれど━━評定衆のいづれか、これ、ひとにも増して思ひ掛け深くふみを手に取り持ち、この沙汰、未だ訴への事、続きつゝありと認め、即ち、召し捕らんと手配り為す。


こは、仮りに罪無きの告げと新たなる囚はれとのあはひに長きとき日を経たるとする仮りの話なりしかど、こは、まこと、あり得べき事にして、我れも様ざま、さる事のさまを知りぬ。


しかるを、罪無しと云ひ渡されし者にして、裁きの司よりうちへと戻りし処、既にして、こゝに、彼れを再び召し捕らへよとの御意を受けたる者ども待ち掛けつ、なる事も、同じくあり得べき事なるなり。


かくては、あはれ、妨げ無き暮らしなど終はりなり。」となん。


「さらば、訴へ沙汰、改めて始まらんとするや。」とK、およそ信ずべからざるさまに問ひぬ。


「云ふにや及ぶ。」と絵師云ふ、「訴へ沙汰、改めて始まらんとす。しかるに、またも、さきと等しう、仮りに罪無き告げを受くる見込みも亦たありなんとす。


再び、能ふ限りの力を尽くすべきにて、思ひ屈するべからざるなり。」と。


この末なる言葉を絵師の云ひしは、Kのやゝにしほ垂れたるかの如きさまに見えしがゆゑならし。


「さりながら、」とて絵師、何ぞ顕はに為さんかと見えし処へ、さいまぐり、押つ被せて、K問ひぬ。


「二たび目に罪無き告げを受けん事、初めのそれより難きものなるにはあらずや。」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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