今日下の娘と一緒にマイケル・ジャクソンの映画を見た。この映画世界中で上映していると思うので、私が特別に書くことはないと思うのだが、私は好きだったので、思ったことを書いておこうと思う。
まず、ほぼ満席。これはたくさん映画を上映している映画館なので(AMC)、一つの映画の1回の上映で満席に近いっていうのは珍しい。半分ぐらいは私ぐらいの年齢の人。この年齢層が多いのも珍しい。あまり映画館に行って映画を見る、ということはしない年齢だと思うのでわざわざ映画館まで見に来るっていうのは、よっぽど「この映画は映画館で見ないとならない」と思ったんだろう。これもマイケルの持つパワーだ。夫婦で見に来ている人もいたし、一人の人もいた。人種はいろいろ。あと半分は黒人さん。集団で見に来ている人や、熟年カップル(多分)できている人、家族で見に来ている人。年齢性別は老若男女。見ている間もげたげた笑ったり、おー、とか、ふーむとか言ってにぎやかだった。ポスターの前で写真を撮っていたり。マイケル・ジャクソンという人が意味するものは人それぞれだと思うけど、黒人にとっては格別な存在なんだということを知った。マイケルの晩年の暗い噂なんて関係ない、お祝いしているような、そんな雰囲気だった。
映画が終わった時に、いかにも誇りを持ってこの映画を撮影した、と言わんばかりに、Director Antoine Fuquaのテロップが堂々と出て、私も「わあ、この人偉業を遂げたんだ」と思ったけど、拍手している人がたくさんいて、黒人さんたちにとってマイケル・ジャクソンはほんとに大きな存在なんだ、と感じた。
この映画の製作費は最近では珍しく多額の1億ドルかかったみたいだけど、最初の1週間で2億ドルの収益があったみたいだから、批判する人も多いらしいけど、概して観客はこの映画を喜んで受け入れ、大いに楽しんでるみたい。
映画は始まった途端にマイケルの音楽が鳴って、一気に彼が生きていた時に引き戻され、懐かしさで胸がいっぱいになった。そういえば、ペダファイルの件が明るみに出てから彼の音楽はあまり聞かなくなった。映画では彼の有名な曲は全部流れていたと思う。ちゃんとスリラーや、Beat itは踊りもやっていたし。彼が人気絶好調の時は、どこに行ってもマイケルの曲や、ビデオが流れていたな、と思い出した。彼が亡くなってから、マイケル・ジャクソンの歌と踊りが日常から消えて、思えばちょっと寂しかった。
映画でも何度もマイケル・ジャクソンは特別な人で、彼みたいな人は二度と現れない、と言っていたけれど、私もそう思う。色々取りざたされて、確かに尋常ではなかったけれど、歌、踊り、容姿とも揃っているこんな人、他に誰もいない。エンタテイナーとして、天才だったと思う。
映画がよかった、というより、マイケル・ジャクソンの偉大さを新たに思い知った、という感じ。
主役のJaafar Jacksonは、マイケルの兄弟の息子で、マイケルから言うと甥にあたる。本当の血縁だ。なので、踊り、歌(もたぶん歌ってると思う)もとても上手で、多分大分本人に似るように練習もしたと思うし、一族からの完璧にマイケルであれ、というプレッシャーもあったと思うし、その中ここまでなり切ったことは、アカデミーで男優賞候補になってもおかしくないと思う。
しかし、やはりオリジナルに比べると、どう見ても歌も踊りも容姿も本人の方が勝っていた。YouTubeでまたオリジナルのビデオを見ようかな。昔は飽きるほど見せられていたけど、もう大分見てないので、新鮮な目で見れるかもしれない。
たまにあるんだけれど、この映画はRotten Tomatoesの批評家たちの評価は39%と非常に低く、一般の観客の評価は97%と非常に高くて、批評家と一般人との評価が真っ二つに分かれている。大概は一致するか、多少の差しかないんだけれど、たまに大きく分かれる映画がある。ということは、この映画は賛否両論、ということなんだ。
娘と見に行ったけれど、ゼット世代はマイケル・ジャクソンのことをあまり知らない。彼の最後の方しか知らない。ずっと変な人だと思っていたそうだ。映画を見て、その思いを新たにした、と。あとペダファイルっていうのも納得できる、と。確かに絶好調の時から落ちてきてからは、変な噂ばかりだったし、黒人なのに色が白かったり、白人の子供がいたり(噓でしょ)、マスクしてたり、整形だらけで、本当の顔がどんなだったのかわからないという奇妙な感じだった。生前からネバーランドに少年たちを招いて、怪しげな行為をしているという噂もあった。生きているときは、あまりにも奇抜な話ばかりで皆で笑い話にしていた。本当に何が起こったのかわからないまま、謎が多いまま死んだ。死に方だって私は今一納得がいっていない。映画では、頭にやけどを負って、それから痛み止めを飲むようになり、それから薬物中毒が始まった、とほのめかしていたけれど、はっきりとは触れていない。暗いところはなるべく触れないようにして、美化しているように見えた、確かに。娘にしてみれば、そういうところも「マイケル・ジャクソンの宣伝みたい」と感じた一因だろう。あと、ペダファイルのことは一切触れていなかったけれど、重病で入院している子供たちを訪問して、一緒に話したりするのが好きだったように映っていた。
娘は曲は全部聞いたことがあると言っていたけど、ビデオを見たことは一度もないと言っていた。彼女の世代は多様化の時代だから、マイケル・ジャクソンや、マドンナのようなスーパースターがいないような気がする。人間、特に若いうちは、そういう風にロールモデルになるような、熱狂できるような人物が生活にいた方がいいのだが、いないっていうのは、どういうもんだろう。
娘は彼のやったことを考えると、彼にも、彼の音楽にも興味が持てない、という。陰でそういう欠陥があると、公の場で業績や、貢献があっても、バッサリ切り落としてしまう(キャンセルカルチャーという)のも、Z世代の特徴のように思う。コロンブスはヨーロッパ人による植民地化の象徴だからと言って教科書から消去するとかしないとか、トマス・ジェファーソン、ジョージ・ワシントンですら奴隷を所有していたからと言って、銅像や絵画が破壊されたり、取り下げられたり、ウッディ・アレンも自分の娘に性的虐待を加えたという事実が発覚して、映画界から作品を抹殺された。娘は名前も聞いたことがないという。
私は今だにウッディ・アレンの映画は傑作だと思っている。昔から大好きで、あの人の映画は全部見た。先日亡くなったダイアン・キートンがお気に入りの女優さんだったらしいが、彼女の出ているアニー・ホールやマンハッタンはウッディ・アレンが映画界の天才と言われていた時の作品だ。確か、アカデミーで最優秀映画賞も獲得したと思う。しかし、コッポラや、スピルバーグとともに、映画界の伝説的人間と言われたウッディ・アレンと彼が作った映画は、映画の歴史、教科書から消去された。
一種独特の雰囲気が大好き。あと、ファッションや、風景や、生活スタイルもマンハッタンがふんだんに出てくるので、当時日本に住んでいた私からすると、今すぐマンハッタンに行きたくなるような、そんな映画だった。
私はその人に暗い部分があったとしても、その人が及ぼした影響、貢献、業績は否定できないし、肯定すべきだと思っている。だから銅像を壊すのも反対だし、すぐれた映画を抹殺して、見れなくしたり、音楽をかけないのも反対だ。一人の人間は、いろんな面を持っている。人によっては、偉大な、人類に貢献する面も持っていて、プライベートでは弱い者を虐待する面も持っている。虐待や弱者の抑圧を許すわけでも、目をつぶるわけでも決してない。それはそれで罪を償うべきだと思うけれど、彼らが作った作品、アート、功績まで捨てなくてもいいんじゃないか。彼らの残した偉大な業績とは切り離して考えてもいいのではないか。
惜しい人を亡くした、と常々思っていたけれど、その思いを新たにした映画だった。自分の中の一つの時代が終わっていたんだな。いなくなってさみしい。
マイケル独特のファッションも見せてくれる。ああ、この人はこうだったな、と。


