Mrs. Green AppleのMV問題には驚いたな。コロンブスを登場人物に持ってくるとか…この人ググったら秒で「奴隷商人」の肩書出てくるよ?それにここ何年かのニュースで、BLM運動の流れで全米各地のコロンブスの銅像が壊されてるのも見てなかったのか??BLM運動の先鋭化で暴力的なムーヴばかり目立つようになってしまったとはいえ、よく考えたら先住民を虐殺して土地を乗っ取った人物の銅像がこれまで何の問題もなく飾られていた方がおかしいような。コンプライアンス問題に深くとらわれすぎるのもどうかと思うが、「未知の者に色々教えたろう~~これってコロンブスみたいじゃね?」みたいなあまりにも表面的な扱いは思慮が浅いと言われても仕方ないだろうね。

ボーカルの大森さんの謝罪によると、「差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりました」とある。それでも伝えたいことがあるなら、一石を投じる気持ちでMVを発表するのもわからなくもない。でもどうやらそういった意図がないから非公開にしたということなのか。なら最初からやらない方がよかったね。

この件について同業者が擁護ともとれる発言をしていたけれど、何故そんなに他人事だと思っていられるんだろう。コロンブスからしたら極東の島国に住んでる黄色人種のわたくしたちは、まぎれもないMVに出てくる「類人猿」側なんだけどね。

思い上がる者が他人を差別するのであって、けして思い上がる方になってはいけない。そうじゃないといつまでもこういう問題から逃れられはしないと思う。

 

ていうか今回いちばん恥ずかしいのは、BBCがシュバってくるまで何がおかしいのか気づかずにこの曲を宣伝していた日本のマスコミじゃない?気づいていても言えなかったのかもしれないけれど…BBCには言われたくないという気持ちがある。彼らは今のパレスチナ問題についてどう思っているのだろう?彼らにイスラエルやハマスを批判する資格はあるのだろうか?そもそも論になってしまうけど

あとMrs.Green Appleは迅速に謝罪しMVを非公開にしているのだから、これ以上彼らを責めるのもやめてほしいものだ。正義感も行き過ぎるとただのリンチになること、今まで何度もあったはずだから。

まあこうなってしまうとこれ以上いくら言葉を尽くそうが、炎上のいい燃料になってしまうんだけどね。

 

 

NHK連続テレビ小説「虎に翼」がBL風味醸し出していたと一部で話題になっていた。

登場人物である轟くんが、亡くなった花岡くんへの思いを吐露する場面だった。

わたくしこのドラマは欠かさず観ているので、それに該当するシーンを見たし、泣いた。でも、わたくしがそこで感じたのは、BLとかではなかったな。

あらぬ誤解を生まぬようになのか、ジェンダーセクシュアリティー考証担当をスタッフに組み込んではいたけれど。

轟くんは見た目の「男性らしい」イメージとは違って、女性に対する公平さを持った人物。よねという同級生の男装を奇異な目で見ず、また梅子がジョークで以て軽視されている場面、他の男子学生が笑っている中、轟くんは笑っていなかった(これは花岡くんも)。花岡くんが心ならずも女性蔑視ともとれる発言をした時は、親友であってもきっちり意見して諫める。

 

轟くんの思いに「恋愛感情」と名前をつけるのはたやすいこと。

同じ目標を持って長い間側にいて、お互いの良いところを誇りに思い、悪いところも指摘し合える…こんな相手、一生に一度出会えるかどうか。特別に思ってしまうのは当然だろう。だからよねに「(花岡に)惚れていたんだろう?」と聞かれて図星を突かれたようになってしまったのもまた、当然なのだと思う。

 

「女」であることを捨て男装して世の中に立ち向かっている「よね」とは、歯に衣着せず言い合える仲。無愛想な口を聞くも、よねは轟のおおらかでありながら他人に対して細かい気づかいができる性格をわかっていたはずで、そんなよねだけが轟くんの気持ちに気づいていた。そして、自分がした質問に明確な答えを要求しない。それがよねなりの優しさなのだろう。

この「優しさ」こそが、脚本家の現代のジェンダー問題に向けてのメッセージなのかなと思う。突き詰めてカテゴライズすることに何の意味があるのか。人が人を好きになることは対象がどうであれ根は同じもののはずだからだ。

 

轟くんは自分が戦場で死ぬことがあろうとも、花岡くんが既に判事という職を得ていたので招集対象から外れたことを心から喜び、再会することを願って戦争を生き抜いた。この自己犠牲に近い心情と執着に似た思いはもう、恋焦がれることを超えたひたすらな「愛」なのではないか。

これをあらゆる予定調和(例えば俺が好きな彼も実は俺が好きだったとか、周りに恋の成り行きを応援されているとか。初めてなのにすんなり同性同士の性行為を成し遂げ朝を迎えたり)に守られているBLにあてはめることは、わたくしにはできない。ただ、人生をどういう形であれ共に生きたいと願った相手がいるということがどれほど幸せかと思うだけだ。

 

 

 

Minnie Ripertonー「Lovin" You」(1974)

 

1974年に代表作であるアルバム「Perfect Angel」を発表した翌年の、深夜の音楽番組でのライヴ映像。

もうほんとすごい…最初の方から惜しげもなくホイッスルボイスを聞かせてくれるし、その自然な発声に本当の才能を見せてもらった気さえする。聴き終わった時、動画に向かって拍手してしまったほど。番組のスタジオで生で聴きたくてたまらなかったし、他のミュージシャンたちのこういったライヴをテレビで見られた贅沢さがうらやましい。 あと、カスミソウを使ったヘアアレンジがとても清らかで可愛い!

 

愛する人に向けたこれ以上ない甘いラブソングであることは周知だけど、この歌の最後の方で「マーヤマーヤ…」とハミングするように呼びかける名前は当時2歳だった娘のマーヤ・ルドルフのことで、マーヤは子守歌のようにこの歌を聴いて育ったと言われている。わたくしはこの曲で「愛」というものの普遍性に限りはないのだと、教えられたように思う。

 

互いにファンだったスティービー・ワンダーとの親交は、ミニーがスティービーのツアーに同行して彼のアルバムに参加したり、「Perfect Angel」のプロデュースとアレンジをスティービーが手掛けたりなど多岐に渡った。1976年にミニーが乳がんにかかり手術を受けている間もスティービーは快癒を祈ったけれど、2年後転移が見つかってしまう。それでもスティービーは「Minnie Get Well Soon(ミニーはすぐに良くなる)」という曲を書いてミニーを励ました。

病室を訪ねたスティービーに、ミニーは笑顔になり「あなたはわたしが待っていた最後の人」だと言ったという。「これからすべてが良くなる」とも。その翌年の1979年、ミニーは31歳の若さでこの世を去った。7歳になったマーヤを残して。

 

現在のマーヤ・ルドルフは母が亡くなった時の年齢をとうに追い越し、女優/コメディアンとして活躍している。

 

Perfect Angel」のジャケット写真を真似るマーヤ。

 

 

ところで今回このブログを書くにあたり、画像の張りつけに手間取った。というのもダウンロード時に拡張子が「.jpeg」から「.jfif」に変更された画像が多くて、ここにアップロードできなかった。まあ少し面倒だったけれど色々調べてエクスプローラの設定をいじったりして何とかなりはしたが…一瞬ビビったわ!