オマエの魂胆はわかっているのだよ…マルチ商法は怖いね!(ひとりごと)

 

最近youtubeで懐かしの擬人化アニメ「ヘタリア」が期間限定で上がっていたので、ちまちまとすきま時間に見ていた。キャラ萌え属性のわたくし、なんで当時これハマってなかったんだろ?という不思議に思いながら…

 

この作品が単行本化した頃、確か仕事が自分史上一番忙しかったはず。しかもメンタル不調による体調不良もあって、実際この時期の記憶って幻のようだもんな。

そしてそれ以上に、第二次世界大戦時の三国同盟(日独伊)で枢軸だーとかそういうのがなんか受けつけなかったことを思い出した。

こんなかわいい感じだけど、史実に基づけばとんでもねーわ

 

まあ創作なんだしとは思う。でも作中に出てくるオーストリアさんがショパンを弾いている姿を見てわたくしとある映画を連想してしまった。

 

実話の映画化です

 

第二次世界大戦時、ナチスドイツのユダヤ人に対する財産没収・収奪によって、戦後手元に戻ってくることのなかった絵画を取り戻すストーリーである。

 

1998年、アメリカ・ロサンゼルス。

主人公の弁護士・ランディは、とある老婦人・マリアから依頼を受ける。彼女は姉の葬儀を終えたばかり──その棺には「ダビデの星」が飾られていた──自分たち姉妹が相続するはずだった絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」を、オーストリア政府から取り返してほしいというのだ。「黄金のアデーレ」とも呼ばれるその絵画のモデルとなった美しい女性は姉妹の叔母にあたる人物で、夫はいたが子どもはいなかった。姉妹はこの夫婦にとても可愛がられ、自分たちの財産をすべて姉妹に相続させるという約束となっていた。

オーストリアでの子ども時代、マリアは非常に恵まれた環境にあった。ユダヤ人実業家であり富裕層であった一家は芸術を愛し、叔父のフェルディナントは名声を博していたグスタフ・クリムトを自宅に呼び、美しい妻、アデーレの絵を描かせていた…宮廷画家のように。アデーレはその後、44歳という若さで病死している。

しかし、そんな幸せな時間が終わりを告げる。

1938年のオーストリアとドイツの併合──もともとオーストリアはアドルフ・ヒトラーの出身国であった。ほどなくオーストリアのユダヤ系住民はドイツ本国と同様にナチスによって迫害されていくのだった。

マリアは両親に別れを告げ、「恋人との待ち合わせ」を装い、ナチスの監視を振り切りハンドバッグひとつで後に夫となる恋人とともに、アメリカ行きの船に乗ることができた(この命がけの逃避行のシーンは本当にハラハラしてしまい恐怖を感じた)。

船には姉夫婦もいて、着の身着のままアメリカに亡命したのだった。大きなカバンなど持とうものなら即刻ナチ党員に捕まっていただろう。

 

マリアの両親や叔父のフェルディナントもまた、芸術品や数々のコレクションを放棄して家を捨てなければならなかった。それらはナチスの高官たちによって分配され、特にアデーレが絵画の中で着けていたチョーカーを、ナチス幹部のゲーリングの妻が我が物顔で見せびらかしていた──まるで追いはぎの「分け前」のような醜悪さだった。

 

ウィーンに向かい調査を始めたランディとマリアの前に、この件に興味を持ったフベルトゥスという雑誌記者が現れ、協力を買って出た。

アデーレの遺言には、その絵画は「自分の死後、ベルヴェデーレ宮殿美術館に寄贈する」と記されていた。詳しく調べていくうちに、それは実は正確には「自分の死後」であり尚且つ「夫・フェルディナントの死後」という記述であったことが判明する。

実はナチス党員がこの絵画の価値に気づき、フェルディナントが亡くなる前に美術館に保管していた(もしくは隠蔽していた?)言うなれば、正当な手続きを踏まえての寄贈ではなかったのだ。そして絵の代金の領収書が見つかり、その宛名はフェルディナントとなっていた。正式な所有者としての証拠であった。

 

だが、オーストリア政府はランディとマリアの訴えを却下した──美術品の返還運動が盛んに取り沙汰されている中であっても。この絵画は今やオーストリアの象徴のひとつであり、「オーストリアのモナリザ」と名高かったからだ。

不服であれば裁判を起こすようにと告げられ、その費用の高額さから、マリアはすっかり気を落としてしまった。だがランディは納得がいかず、打開策を探し続けていた。最初は絵画の価値の高さにつられていたし、転職したばかりの弁護士事務所で手柄をあげたいという思いから弁護を引き受けた。しかし、マリアの辛い思い出話を聞いているうちに、そんな浅はかな目論見を恥じることとなったのだ。

そして、ランディはアメリカの法律で以て米国内でオーストリア政府を相手取り訴訟を起こせる方法を見つけた。その困難さから、ランディの上司は難色を示したが──ランディは事務所を退職して、ひとりで立ち向かうことを決心した。

米国連邦最高裁はランディを支持し、再びオーストリア政府と争う権利を得たランディはウィーンへと赴き、議会でアデーレの遺言が無効であること、そしてナチスによる非道な財産の収奪を訴えかける。そして、裁判が長期に及ぶ可能性を考え、和解の道を模索していたランディと、何としてでもオーストリア政府に収奪を認めさせたいマリアは、一度は訣別するものの結局はともに調停員による判断を待つこととなった。

ここまで協力してくれたことに礼を言うランディに、フベルトゥスは告白する。

実は彼の父は熱心なナチ党員だった過去があり、自分なりに父の罪を贖う気持ちからしたことだったと。そして、ランディの亡くなった祖父はホロコーストの犠牲者だった。相対する位置にいるふたりは、それぞれ歴史と向かい合っていたのだ。

 

そして評決──ウィーンの調停員はマリアに絵画を含むフェルディナントの美術品を返還する最終判断を下した。しかし、マリアの心は晴れることはなかった。家族のことを思い、涙を流すだけだった。もう、この絵を飾る家もなく──着の身着のまま亡命したマリアとその姉のつましい暮らしに、維持できる力もなかった。

マリアは古い知り合いだったエスティ・ローダー(言わずと知れた巨大化粧品メーカーの創始者であり、ハンガリー系ユダヤ人の移民でもあった)の息子に、この絵について売却の相談を持ちかけた。彼は実業家でありながら美術に造詣が深く、そしてナチスによる収奪美術品の返還運動を進めていた。

 

ニューヨーク5番街の美術館、ノイエ・ガレリアに展示されることになった叔母・アデーレの肖像画を、マリアは眺める。

ここなら古い絵画を最高のコンディションで保存できるし、高齢のマリアにとって、自分の死後の絵の行方を心配することもないのだ。ふと蘇る記憶──大きな家での豪華なパーティー。絶えず演奏が鳴り響き、大人たちは楽しく踊り、子どもだった自分と姉はその隙間を軽やかに駆け回る。そして奥の部屋ではクリムトがキャンバスに絵筆を走らせている…その向こうに、艶やかに微笑みソファにもたれかかる美しい叔母──アデーレの姿があった。

 

こんなふうに返還が成功した事例は少なく、未だ10万点もの美術品が元の所有者に戻ってはいないという。失意のまま亡くなる所有者は増える一方で、発見されたら大ニュースになりそうな作品の数々が今日もどこかで眠ったままなのだ。

 

 

TA-KU feat.JMSN &Sango-「Love Again」(2015)

 

オーストラリア在住のアーティストTA-KUことリーガン・マシューズによるアルバム

「Songs To Make Up To」から。静かに力強く声が重なっていくあたたかさを感じる曲です。音楽のほかにもインスタレーションやファッションブランドの共同経営、カメラマンなど様々な分野で活動していて、昨年ニューアルバム「Songs To Come Home To」を発表しました。もう少しコンスタントに曲を出してほしいと願うアーティストの一人です…