イーディとアンディ・ウォーホルの出会いは1965年の初めだった。

そしてその年の夏には、イーディはマスコミに大きく取り上げられるようになっていた。ヒット曲を出したとか、ハリウッドの話題作に出演したわけでもないのに。彼らの興味はイーディのライフスタイルと、その美しさにあった。

今も世界中のトレンドの中心地にいる「ヴォーグ」誌は、イーディを「ユースクエイカー」と讃えた…"youthquake"とは"earthquake(地震)"をもじったワードで、それまでの若者の価値観を根底から変える生き方──儀礼的な社会を大きく揺るがそうとする文化的変革といった意味合いである。

ヴォーグに掲載されたイーディ。自室の大きな革製のサイの「ワロー」の上でポーズをとっている

 

レオタードと黒いタイツがイーディの普段着であり、片時も指の間からなくならないタバコとともにトレードマークのようになっていた。

上流社会を飛び出し自由気ままに生きる彼女の姿は、当時のアメリカという国の変容とシンクロする部分があったかもしれない。公民権運動やベトナム戦争に対する反戦活動など、それまでの保守的な社会に対して変革を唱える人々が増え、自分たちの親世代のような生き方を拒み「自分らしい生き方」を模索する若者が多かった時代に、イーディという存在はまさにアイコンのようになっていたのだろう。

そして、容姿や家柄や経済的に恵まれた若い女性として、今SNSでもてはやされている「セレブ」の先駆けという一面もまた、現在に通じる「変化」なのではないか。

着たい服を着て、誰のためでもない自分のために生きているイーディの姿は、その頃台頭しつつあった「ウーマンリブ」という思想にもどこかマッチしていたように思われる。そういった数々の要素が、イーディを時代の寵児として押し上げたのだろう。

その後、アメリカを代表する雑誌のひとつだった「LIFE」にも取り上げられた。

”この感動的な脚をした短い髪の細身の少女は、ハムレット以来の誰よりも黒タイツが似合っている”

ファッションのページに載ったイーディに、そんな見出しがつけられた。

実はイーディは子どもの頃この雑誌に載る予定があった。家族とともに「働くアメリカ人」という特集で、牧場での暮らしを取材されていたという。

結局それが掲載されることはなかったけれど、彼女にしてみたら押しつけの古き良きアメリカの家族としてより、自分らしい生き方を謳歌している姿が載る方が誇らしかったことだろう。

 

まさに順風満帆といったイーディの足をすくったのは、皮肉にも「自分の居場所」であり自分を有名にした「ファクトリー」だった。

夜ごと繰り広げられるパーティーの真の主役はドラッグ──イーディはいつそれに気がついただろう?少女時代から向精神薬の服用経験があったイーディにとって、その扉を開くことは容易だったのかもしれない。

数々の映画作品を遺したジョエル・シュマッカー監督が、当時のイーディについて証言している。

彼が通っていた「アシッドドクター」なる医師が経営する診療所に、イーディはいつもいたと。最初は健康増進や疲労回復の目的だったけれど、そこで打ってもらう注射は間違いなく非合法の強い快楽を得られる薬物を合成したものだったという。

週に一度通っていたのが二度になり、そのうち毎日になり、日に四回…ファクトリーの特にイーディと仲のよかったリッチー・バーリン(彼女もまた、出版界の大物の娘である)は、その費用欲しさに父のコレクションの数々…たとえばヒトラーが愛人のエバ・ブラウンに贈った髪留めなどを売り飛ばしたりした。

 

日に日にルーズになっていくイーディを、アンディはただ傍観するだけだった。

まるでカメラ越しに被写体を見るように。

ファクトリーの仲間たちの中には弱っていく彼女を心配する者もいたが、傍から見ればそれは、水に溺れている者同士で互いが沈まぬように引っ張り合っているに過ぎなかった。

今まで以上に色々な人が、イーディの周りをうろついた。昼夜関係なく彼女の部屋にいた──その頃にはもう最初の住処だった祖母の部屋を出ていたせいで、訪ねる人々は傍若無人といえるほどだった。薬の売人。夜遊びに誘いに来る仲間。薬のおこぼれをもらおうとする顔見知り程度の人物。

 

そして、イーディは「次の居場所」について考えるようになった。

もう「アンディとイーディ」という場所では先を見通せないと次のキャリアを求めて、様々なエージェントに会ったりしたけれど、憤慨してはファクトリーに戻っていった。何を言われてきたかを想像するのはたやすいだろう。

おそらくは──今の生活を変えること。薬をやめること。その影響下にある場所に行かないこと。

即ち、アンディとファクトリーとの別離を言い渡されたに違いないのだ。

エージェントからすれば至極当然の提案だったはずなのだが、イーディには刺激的で楽しいパーティーライフから抜け出す勇気がなかった。

 

ここで新たな登場人物が現れることになる。

ヴェルヴェットアンダーグラウンド、ニコ、そしてボブ・ディランである。

 

<参考資料>

「イーディ 60年代のヒロイン」ジーン・スタイン/ジョージ・プリンプトン著 

筑摩書房

「さよならアンディ ウォーホルの60年代」ウルトラヴァイオレット著

平凡社

 

Nancy Sinatra-「These Boots Are Made For Walkin'」(1966)

 

つきあっている男に愛想つかして三行半を突きつけ、「このブーツ履いてあんたを乗り越えて歩いて行ってやるからよあばよ」と言い放つ威勢の良い曲。

男に対して辛辣な歌詞で、邦題の「にくい貴方」というのは生温い解釈のように思います。

この曲はなんといってもスタンリー・キューブリック監督の「フルメタルジャケット」で使われていたのが印象的でした。ベトナム戦争を題材とした映画で、情緒を排した演出でもう徹頭徹尾戦争と人間の愚かさを描いています。

ベトナムの街角に佇んでいた主人公とカメラマンのもとに、ベトナム人の女がクネックネと歩み寄り、売春を持ちかけるシーンに使われていました。クネックネを見ている間にカメラ盗まれたりして、この映画の結末にも通じるんだけど、この映画はマッチョな男たちは実は強くもなんともないということをいってるのかな?と思いました。