マンハッタンのミッドタウン東47番街231番地。

今現在は取り壊されているビルの5階に、そのアトリエはあった。

「ファクトリー」。アンディ・ウォーホルは数人の助手とともに、シルクスクリーンを使用した美術作品や自主映画作品の多くを制作していた。

門戸は開かれていて、多くのアーティストやイーディのようにアンディのお眼鏡にかなった人々が自由に出入りし、朝も夜もなく誰かが常にそこにいた。

「キャンベルスープの缶」とともに、アンディが手掛けた作品の代表作の一つ「ブリロの箱」。

 

ファクトリーの内装はほぼすべて銀色に塗装されたりアルミホイルによって覆われていた。そして、アトリエの中央には「アンディのカウチ」と呼ばれた赤いソファーがあり、アンディが仮眠をとるだけでなく、訪れた多くの人々が腰かけ、ある時は自主映画のベッドシーンにも使われていたという。

まったく初めて見るこの奇妙な空間──風変わりなアーティストと、彼を囲む、日常のどこに潜んでいるのかわからない個性的な人々が集うファクトリーに、イーディはすぐに魅せられた。

カメラの被写体になっている裸の男たち。事務用の大きな封筒から薬を取り出して配る女性。トランスジェンダーたちがメイクを丁寧に直している横でタバコを吸うモデルの女たち。イーディと同じようにおっかなびっくりという感じで辺りを眺めている文化人たち。そして、何食わぬ顔でガムを噛みながら作品を作るアンディ。

 

全てのステレオタイプから解放されたような自由さを、イーディは感じたに違いなかった。そしてイーディは「スーパースター」と呼ばれるようになった。

 

このスーパースターという言葉は今では当たり前に遣われているが、アンディが作った造語という説がある。正確にはイーディの前の「スーパースター」であったベビージェーンホルツァーが、スーパーという語句を好んで遣っていてそこから来ているとか。勿論この時は仲間内で通用する表現だったが、いつしか世界中で遣われる言葉となった。立ち位置的には、アンディウォーホルというアーティストの創作意欲をかきたてるミューズといったところだったのだろうか。

数多くのスーパースターたち…タイガーモース、ウルトラヴァイオレット、ベビージェーン、イーディ、イングリッド・スーパースター、ニコ、ヴィヴァ、キャンディダーリング…は、ニューヨークのナイトライフの花形となった。

 

ファクトリーで夜ごと繰り広げられるパーティー。ここに集う美しい男たちの多くは、イーディを性的に脅かすことはなかった。主であるアンディも。

だから、ありのままの自分でいることができた。吸い終わる間もなく別のタバコに火が灯り、目の前のテーブルには重ねられる空のグラス。とりとめもない、だけどその瞬間はとても意味のある会話の数々。踊って、笑って。

イーディの生活はあっという間に夜の為にあるようなものになっていった。

 

そして、自由を謳歌するイーディの背後に、またも死の影が忍び寄ってくることとなる。

 

<参考資料>

「イーディ 60年代のヒロイン」ジーン・スタイン/ジョージ・プリンプトン著 

筑摩書房

「さよならアンディ ウォーホルの60年代」ウルトラヴァイオレット著

平凡社

 

 

 

The Beach Boys-「Caroline,No」(1966)

 

もはや説明の必要もない大名盤の「Pet Sounds」のラスト曲。

だけど当時は当のメンバーたちからは大不評で「何これ動物に聴かせる音楽か?」との言葉がアルバムタイトルの由来とか?ちなみにこのジャケットの撮影を行った動物園から、生涯出禁にされたり出禁解除になったり色々あったようです。

前作までのさわやかなサーフロックとは違う、ビートルズに影響を受けたとされる内省的な音作りは、メンバーたちの思惑とは真逆に、現在も語り継がれる一枚となりました。