右翼一般人になって、恵方巻を論難す | みんななかよく

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 戦後日本の悪弊は、現実を注視せずに不可能な建前を押し通すことにある。

 最も顕著な例は国防で、左翼の夢想家は長年にわたり「非武装中立」を唱えてきた。

 実際にはできないことを、主張する。これを近年の例に取れば、節分に恵方巻を食す、という最近の商業主義的慣習についても見られるところだ。

 

 風説の伝えるところによると、節分で恵方巻を食すには、

 節分の夜の、その年の恵方に向かって、恵方巻一人一本を、切らずに一気に食べる。その時に願い事を祈念する

 とのことである。

 しかし、実際にこの通りに食しているものがいるであろうか。

 その年の恵方については時期が来れば、喧伝されるから知ることは容易だ。

 自宅で豆まきをするために家族が揃うことも可能だろう。

 しかし、途中で休みもせずに太巻き一本を食すことが、児童や老人にできようか。むしろ危険であろう。

 実際には、途中で「おーい、お茶」を飲みながら、もぐもぐと口を動かし、巻物の中身の具材がこぼれそうになるのに気をとられて、肝心の願い事を忘れて食べると想像される。

 

 自分の若い頃には聞いたことのない風習であっても、メニュを考えないで済むから好都合と主婦は考え、これにコンビニサラダで、今夜は済ませちゃえと独身者は横着を決め込んで今出来の風習に従い、しかも真剣に作法を守ることはない。この現実と建前の乖離こそ、権威主義国家の脅威を直視せず、平和主義を標榜し、実際は「いざとなったらアメリカ軍が守ってくれるさ」と他人任せの国防観が染みついている日本国民の考えと共通している。

 

 実際の恵方巻を食す作法などは問題にならない。どんな方式で食しているのか、事後のアンケートで調べた社会調査などはなされないだろう。関連企業にすれば恵方巻が売れればよいのであり、一般市民にすればメニュが決まっていれば楽で、それ以上ではない。

 そこに食し方の不備を言いつのり、建前と現実の違いを指摘するのは、昔ならば無粋、今なら空気が読めないで片付けられる書生論なのだ。

 自分では守らないルールを知識としては知って、昔ながらの風習、伝統として日常をイベント化する。そこから規範意識の劣化へは、ほんのわずかの距離である。

 

 

参照

恵方巻き 2021年はいつ食べる? 方角は? | にこトピ (niko25niko.xyz)