今日はひなまつり | みんななかよく

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我が家の雛人形

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男兄弟で育ったので、雛人形ありません。
別住同居で敷地に建てた兄夫婦の家は、姪が生まれたので段飾りの雛人形を飾りました。
姪っ子のチョビレ、一語文、二語文をしゃべっているころは、お雛様のことを「ぼんぼり」と呼んでいました。
「灯りをつけましょ、ぼんぼりに」という童謡を、カセットで聞いていたからでしょうね。
 
姪っ子が小さい時分は、兄嫁がちらし寿司を作って、チョビレ言うところのパーピー(パーティー)をしました。
兄の家は女の子二人だったので、すっかり女の子文化に変わりましたね。
 
今の原型となるひな祭りは、王朝文化をもとに江戸時代に広まった習俗なんでしょうけど、ある程度余裕のある家でないと、あんな飾りは飾れませんね。地方の旧家などなら、代々の嫁入り道具の雛人形がお蔵にある、なんてことがあるかもしれないけど。
 
伊藤浩士さんがサトウハチローの詩を題材に、雛飾りについて説明しています。
 
お雛様の左右とか仕丁の位置とか、わたしの知っている話も知らない話もありますが、随身が左大臣や右大臣ではないだろうとは、考えたこともなかった。
まあ人形は弓箭を帯びていて、どう見ても河原左大臣、源融のような高位の人物には思えないのですが、姪っ子のお雛様を見ていたのにそもそも、段飾りの順番だってうろ覚え。
雛あられはけっこうおいしかったぐらいしか記憶にない。
 
それにしても、なんで子どもの日は5月5日で、3月3日じゃないんですかね。王朝由来のひな祭りの方が、武者人形を飾る端午の節句より、天皇を戴く明治政府には好都合ってことはなかったのかな。
 
 
追記
待てよ、そもそも端午の節句って戦前は休日じゃなかったんだっけと調べたら、1948年制定みたい。その頃は、男の子が跡取りなんて意識も強くて、王朝文化に連なるひな祭りよりは、端午の節句の方が「子どもの日」として当然視されたのかな。戦後すぐだと、お内裏様を飾る雛祭りの方が、天皇を中心とした日本文化との所縁が強い、と応援演説はしづらかったかも。