浅草生まれの祖母が、「江戸っ子」とは言わずに「東京者」という言葉を使っていたことを、前に書きました。「とうきょうもん」って発音していたっけな。
考えようによっては「いなかもん」の対語かもしれないので、地方から出てきた人に対し、差別感がある言葉かも。その辺、注意が必要じゃな。
まあ、でも、吹き溜まりみたいに集まって東京に住んでいる有象無象が、威張るこたあないわけですが。
横浜の住人を「浜っ子」というのはいつごろからかは知らないけど、その昔、ってバブルの頃には、同名のタウン誌をみたことがあります。
そのタウン誌で見たのかな。「三代続いたら江戸っ子、といわれるが、三日住んだら浜っ子」だそうです。
開港で急に発展して、誰だってよそから来た人に違いはない、てっ特性を言い表したものでしょう。「アイデンティティなんて御大層なもんはないよ、わたしらには」ってところをアイデンティティにしようというのですから、なかなか開けている。
この「○○っ子」って言い方、どこにもあるかというとそうでもないらしい。
広原盛明さんのブログを読んだら、こんな記述がありました。
人口縮小時代の都市の持続的発展の原動力は住民の「市民性」と「市民力」にある、市民性は歴史の中で陶冶され、市民力は行政との(緊張ある)パートナーシップによって発揮される、神戸の市民性と市民力は果たして発展しているのだろうか、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その22)
(↑ これは記事のタイトルです。引用は以下)
>私は神戸育ちでもなく住んだことがないのでそれほど深く神戸のことを知っているわけではないが、神戸の市民性をあらわすのは、「神戸っ子」という言葉がふさわしいのではないかと思う。ちなみに京都・大阪では「京都っ子」「大阪っ子」とは絶対に言わないから、これは疑いもなく神戸の市民性を象徴する言葉だと言ってよい。神戸市民は京都人のように分別臭い大人でもなければ、大阪人のように商売一本槍の人間でもない。「神戸っ子」という言葉には、神戸市民が新しい文化を吸収することのできる進取性かつ柔軟性に富み、溌剌とした感受性に恵まれているという意味が込められている。
それで、「神戸っ子」はどんなものかというと……。
>○「兵庫県民」とは名乗ることはない。
○やたらと「神戸」を「KOBE」と表したがる。
○「神戸って都会だよね」と言われると必死で田舎っぷりをアピールするが、「神戸って思ったより田舎だよねー」と言われるとイラっとする。
○神戸空港が無駄だと言われても、地下鉄海岸線よりは何とかなると思っている。
○西に住んでる市民は三宮より東は大阪、東に住んでる市民は三宮より西は岡山だと思っている。
なのだと、(ニコニコ百科らしいけど)ネットに出ていたそうな。
むひゅひゅひゅひゅ。なんとなくおかしい。