差別に関するしょーもない話 | みんななかよく

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 のっけから「しょーもない」と宣言して、大上段に構え肩肘張った議論にならないようにしようとしている…わけではありません。あんまり考えがまとまらないから、早めに逃げを打っておこうというのとも違います。

 雑談モードで、「差別」について、あるいは「差別」という言葉について、あるいは「差別」として観察される現象や、それに対する世の中の姿勢などを、ぐだぐだ書いてみようと思う。

 まあ、口上より実際にやってみましょう。


 まず、わたし自身の差別意識について。重いテーマにみえるけど軽めのおしゃべりとして、わたしには何というか、ある人びとに対する人種差別意識はあるなあ、と思えます。むかし何かの雑誌で似たようなことが書いてあって、同じことを考えてるなあと思った記憶があるからあんまりオリジナリティのある議論じゃないけど…。


 たとえばニューギニアでもアマゾンでも南部アフリカでも、プリミティブな集団の人々、まあtribeは差別用語ではないだろうから「部族」と言いますが、そういう部族の人の写真。おんなのひとがおっぱい出している写真が、ままありますね。それを見て、「わー、バストトップ丸出し。もうけ」って喜ばなかったんですよ。色気盛りの高校・大学の頃から。これがさ。ニースの海岸で戯れるトップレスの女性、てなに人かしらないけど西洋人の女性の写真だったら、まあ、そんなにエロいわけではないでしょうけど、「わーい、いいなあ」と感じるんじゃないかと思うんだ。

 

 もちろん、エロいと感じるのはシチュエーションであって対象ではない。ゴーギャンが書いたタヒチの女はどうとも思わなくて、ルーベンスが描いた裸体だとそそられるって話ではないから、「世界の風習」みたいなルポに写真があって、ニューギニア高地の裸族なんてのに欲情する人は、わたしに限らずあんまりいないと思えます。
 

 フォト・ルポルタージュで、パリコレクションの舞台裏の写真があって、モデルさんが急いで着替えている途中の裸の写真、があったとして、それを見てゲシゲシとピンナップヌードみたいに喜ぶかといえば違うでしょうけど。

 でも、ともかく、イロコイ族なんてなまえであっても、なじみのない「部族」の女性が、性的対象だったり通婚範囲だと考えていない。内観すれば。
 

 アジア人や欧米人以外はのけ者にする人種差別かというと、月刊PLAYBOY]なんかの黒人のプレイメイトを「素敵だな」と思ったりするから、そうともいえない。そ

 もそも非モテだから、アフリカ系の乙な年増に「kuronekoちゃんや、お前さん、ちょいと様子がいいよ」なんて言われたら舞い上がっちゃうんじゃないかなあ。
 しかし、まあ、身近にいないから慣れなくて異質だと思うのがベースとしても、人種偏見や差別意識の根っこはあるでしょう。



 せんもない思考実験を続けると、自分にはロマ差別の意識があるかな、どうかなと思う。差別しようにも身近にいないからできないとも言える。でも、仮にヨーロッパにいって、偶然にロマの女子とあって、恋愛するかなあと思うと覚束ない。むこうの社会の多数派意識に引きずられるんじゃないかな。まあ向うの社会の多数派はロマ差別反対かもしれないから、多数派の意識ではないか。
 でも、異質な生活を送っている集団への差別意識って、きやすく共有しそうにも思う。日本の歴史でも、定着しない漂泊民にたいする差別意識って、多いですからね。

 

 身近でないから、差別意識の持ちようもない、とも言える。でも、だからってイノセントかどうか、ってことですね。

 話はそれるけど、姪っ子に読み聞かせした絵本に「マドレーヌ」って女の子がいろいろ事を起こすのがあって、そのなかに、ジプシーかあさんが水晶玉を覗いているシーンがあったけど、あれって「ジプシー」が禁止ワードでNGになったってことないのかな。


 アフリカ系市民とかロマとかアラブ系の人とかに差別意識の持ちようもないということはない。絶対、日本人にも差別意識があるのだ、という考え方もできるけど、それは、アメリカやヨーロッパ社会が直面している社会問題としての差別とは違うのだろうと思う。自分は差別者だと痛切に自覚するとしても、当事者である社会の悩みや痛みをなおざりにして自分の心理をふわけしていくのでいいのか。そこはちょっとかんがえどころではないかなあ。
 日本人として自覚するなら、欧米中心主義をけっこう内面化してしまっている自らの近代の問題じゃないかな。


 人種差別、民族差別って、個人の心理の問題、偏見とか先入観とかの問題ですが、社会現象でもありますね。社会に生起している問題としての差別をどうするか。社会政策として考えなければならない。
 一方では、個人の心がけの問題でもあって、「啓発」が必要とされている。いかにも役所言葉みたいで、そもそも「上から目線」ぽくて、「啓発」という言葉は、あんまりうけなさそうだけど、でも、なしじゃいられないんだな。
 これから、あれこれ関連ネタを書こうと思います。