造反有理 文革無理 | みんななかよく

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 文革の話。

 文化大革命 については、評価の前に年代だけ調べておきましょう。

 

 「中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた」 (ウィキ先生)

 

 わたしは同世代といっても、子どもの頃のことで、当時も今でも結局のところよくわかっていないのですが、日本のマスコミは連日大報道していた記憶はあります。

 「自己批判」て言葉は、このころ広く言われるようになったんだと思う。それより以前は、「反省」したり「謝罪」したり「懺悔」したりしていたのだと思います。


 何がなんだかわからない、というのが多くの日本人の一番多い印象でしょう。でも文化人はそれでは商売にならないので、歴史的意義を説いたり、実態を批判したりしていたのだと思う。


 報道機関も文化人も、かなり文革に対しては肯定的だったと思う。右派のいうように「賛美」したというのとは違うと思うけど、大勢の人が迫害されているよ、という報道ではなかった。

 報道機関には、内政干渉になってはいけないというひるみや、国外退去になったら困るという打算があったのだと思います。

 文化人は、こういう気分から肯定的だったんではないかな。当時、中学生ぐらいのわたしが感じた思いだけど、いかにも日本人らしい発想から、文革を評価したのだと思います。


 文革を絶えざる自己点検、自己革新の運動、組織のおりやさびをブラッシュアップする運動だと思った。

 これが当時の右派ではない日本人が、なんとはなしに文革を肯定的にみた気分だと思う。わたしは自分がそういう感じで見ていた記憶があるから、社会の気分にも斯様の要素があったのだと思えます。


 60年代になって、スターリン批判以降、雪解け時代になったとはいえソ連はやっぱり閉鎖的で、また党や国家の官僚の特権がすごいねという話は伝わってきていた。

 人民のため、といいながら権力を握ると自分たちのために政治をして、新たな既存権力になってしまう。それを防ぐために、たえず自己革新が必要。こういう気分で毛沢東の「永久革命」ってことばを受け取っていたのだと思う。

 実際はそんなの違うじゃないか、と今からは批判できるけど、当時は根底にそうした「ブラッシュアップとしての永久革命」という受けとめ方があったのではないか、というのがわたしの仮説です。

 当時、せいぜい中学生だったわたしの気分が時代の気分だと言い張るのは図々しいけど、日本人的な反省好きの性向を考えると、それほどはずれてないのではないかなあ。


 当時の新聞か雑誌に、「文革を単なる権力闘争と見るのは誤りだ」という誰かの文章が載ったのを覚えています。その文章は、わたしがいま述べた「ブラッシュアップ論」を主張してたどうかは覚えていませんが、おそらくたえず人民が権力を握るために必要なのだ、みたいなことは言っていたのだろうと思います。

 「権力は腐敗する」のは体制の如何を問わずいつも問題なのですから、「実権派」と称されるものにたいし、造反するのは理の有ることだと一般論で思えたのではないか。


 中国の社会主義体制を日本の体制よりよいと思っている人って、日本にはごく少数しかいないわけです。いわゆる「革新」政党の支持者だって、日本の現在の政治・経済体制が社会主義よりいいと思っている。当たり前の話で、日本国憲法って、結社の自由も財産権もあるから、会社作って資本主義経済社会をつくるのに適合的ですからね。


 別のほうからいってみましょう。


 いくら制度を整えても、社会全体の文化の変革なくしては、改革にならない。小選挙区制度や二大政党制導入をしても、人々が政党の政策を理解して、地元利権にとらわれない投票をする政治文化を確立しなければ、本当の改革は実現しないのだ。


 上の文章、なんとなく納得できるでしょ。「文化」という名のついた「革命」というのは、60年代に使われ始めたころは、なかなか好感度が高かったのだと思う。

 左翼文化人やマスコミが文革をいいことのようにいい勝ちだったというのは、一般大衆の気分におもねた側面もあるはず。マスコミの情報がなければ、何にも判断できない民草ではありませんからね。


 ただし、マスコミが苛烈な権力闘争として文革を伝えることが甘かったとしても、映像は流されるから、「三角帽子で自己批判させられる走資派」は、知られるわけです。まあ日本人の感覚から言えば、ああいう映像を見て文革派はいいものだと思う人はいない。だから一般の人には、一方では中国は極端に走る怖い国、文革って怖い、という意識も一方では強く刷り込まれたと思う。文化人といっても、日本的メンタリティはありますから、やっぱり文革に対して違和感、不信感、恐怖感があったと思う。たとえば、共産党系の人は文革には当時から批判的だったでしょ。

 全面的に肯定や賛美しないけど、ダイナミックな歴史的出来事として、いろいろ幻想した、というのが日本人の文革のとらえ方だと思う。世の中は、「左翼が間違えた」とか「マスコミが嘘をついた」とか、それほど単純にはできていない。


 文革は、戦争を除けば20世紀最大の愚行の座を争える出来事だと思いますが、文革当時の日本人の受け止め方は、世界史でもユニークな「コント」なのかもしれない。

 ただ、そこからは日本人のメンタリティが浮かび上がるのではないかな。