もうひとつのシベリア抑留 ~韓国・朝鮮人捕虜の60年~ | みんななかよく

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 4月5日、この前の日曜日の午後10時からNHK教育TVでやっていたETV特集。


 「もうひとつのシベリア抑留 ~韓国・朝鮮人捕虜の60年~」


 戦前は、朝鮮半島が日本に組み入れられていたので、韓国・朝鮮人も兵隊にとられたのですね。

 リンクをはった番組説明にもあるように、最近になって韓国政府がロシアに申し入れて、韓国籍のシベリア抑留者の名簿がでてきた。

 戦争末期、ソ連が日ソ中立条約を踏みにじって満州に侵攻し、関東軍の兵士は捕虜になりシベリアに抑留。シベリアと言っても、バイカル湖のほうまで連れて行かれたんですね。

 出てきた韓国の元兵士は、長いことシベリア鉄道に乗せられたすえ、バイカル湖が見えた。みんな「日本海だ」、(彼は日本語でしゃべっている)と思ったそうな。・・・悲しい。

 

 ファシスト・スターリンの奴、抑留兵士を労働力として、鉄道建設、炭鉱、森林開発等で酷使した。最初の年の寒さはことのほか厳しく、多くのかたが亡くなったそうです。

 うむ。「日本軍制奴隷制度被害者サバイバー」への補償、日本による強制連行・強制労働への補償の次は、ロシア政府に国家賠償請求じゃ。応じそうにないけどなあ。

 (西松建設!おまえ、政治家に政治献金するカネがあったら、戦後補償しろよ)


 最初、日本兵と一緒だったのが、半年ぐらいで朝鮮の人ってわかって、別々の宿舎になる。

 やがて元兵士たちはシベリア抑留から帰されるのですが、その前に「共産主義はいいよ」って思想教育を受けるのですって。ソ連としたら屈強の兵士を極東開発に使いたかったのでしょうか。

 でも、韓国の人って、郷土意識や血族意識が強いからか、みんな一刻も早く肉親、同郷の人に会いたかったのでしょう。誰もみな帰国を希望して朝鮮半島に。

 その頃はもう冷戦になっていて、北朝鮮でも、朝鮮半島南部の出身者は、「こっちは楽園だよ。南はアメリカの奴隷だよ」と吹き込まれたのですって。でも、南の出身の人は、故郷が忘じがたく、誰も北に留まるとは言わなかった。

 肉親、知人が奴隷のように悲惨な境遇と聞かされて、そうかもしれないと思っても、ならば尚更、故郷の人と苦難を共ににしようと思ったのかもしれない。

 その心根を「愛国心」と呼ぶのさえ軽く思える、深い真情です。


 ところが、38度線を通って、北から南へついたら、「北にいた」ということで、スパイだ、不審だ、うさんくさい、と勤めることもなかなかままならない。それでもたつきを立てて、家庭を持って、社会的にはひっそりと暮らしてきた。

 東西冷戦が終り、韓国が経済発展し、長く続いた軍事独裁政権の時代も終わって、ようやく韓国社会に受け入れられるようになってきたようです。

 日本の十五年戦争と冷戦とに翻弄された人生なのですが、取り上げられた二人の方が、なんともいい顔なんです。深いしわに苦難が偲ばれ、発音は韓国・朝鮮の人の特徴を残しているのだけど、適格な言葉遣いの日本語で・・・。


 NHK総合でも、がっしりした番組をやっていたようだから、ETVをご覧になった方は少ないかも。

 こういうエントリーをあげたうにさんは、あるいはご覧になっているのかもしれません。

  

パリを解放したフランス軍白人部隊

  http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6817.html


  再放送希望、とNHKにメールしようっと。


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